マリッジ、ブルー

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 朝食を済ませてクレアが外出してしまってから、寝室に戻った葵は一人で考え事をしていた。坩堝島から帰って来て、すでに二日という時が経過している。体の疲労はもうすっかり癒えていたが、頭の中は、いくら休養をとってもなかなかスッキリしてくれなかった。

(ダメだ……)

 考えること自体に疲れてしまった葵はベッドに体を倒し、瞼を下ろす。そうしていてもやはり、頭の中では『結婚』の二文字がグルグルと渦を巻いていた。

(そんなに重く考えることじゃないのかな?)

 葵は以前にも、この世界の者に結婚を迫られたことがある。その時は事なきを得たが、今回はどうにも断れそうにない。しかしこの世界で結婚をしたからといって、夫となる人物が着いて来るとでも言い出さない限り、生まれ育った世界に帰ってしまえば関係ないのだ。

(別に私を好きってわけじゃないんだから、ウィルはそんなこと言い出さないよね)

 愛のない結婚ならば自分に関心も薄いだろうし、結婚後のことはあまり心配しなくても良さそうである。それならば、早く結婚してさっさと元の世界に帰りたい。何度考えても結論は同じなのだが、それでも葵は「でも……」と胸中で言葉を続けてしまった。

(結婚、かぁ……)

 はっきり言って気は、進まない。ウィルのやり方を卑怯だとも思うし、何よりまともに異性と付き合ったこともないのに結婚とは、段取りが狂いすぎている。

 深いため息をついたところで寝室の扉が開く音がしたので、葵は慌てて体を起こした。クレアが帰って来たのかと思いきや、そこにいたのは予想外の人物達で、葵は目を瞬かせる。

「アオイ!」

 喜々とした表情で駆け寄って来たのはユアン=S=フロックハートだった。走って来た勢いのままベッドにダイブしてきたユアンを、葵は驚きでもって迎える。

「どうしたの?」

「アルから具合が悪いって聞いたから様子を見に来たんだ。大丈夫?」

「ああ……それで」

 こうしてわざわざ来てくれたのかと、葵はユアンに続いてベッドの近くにやって来たレイチェル=アロースミスにも目を向けた。体の調子が悪いわけではないので、足労させてしまったことが何だか申し訳ない。

「まだ不調は続いているのですか?」

「どこか痛いところとかがあればレイに言うといいよ。あっという間に治してくれるから」

 ユアンの発言から察するに、レイチェルは医師のようなことも出来るらしい。果てしない才能に改めて感心しながら、葵は首を振って大丈夫であることを伝えた。

「そうだ、ユアンに聞きたいことがあったんだ」

「何?」

「英霊のことなんだけど……」

 ユアンは以前、バベッジ公爵の本邸で英霊と会話をしてみせてオリヴァーを驚かせていた。盟約を結んでいる英霊は普通、契約者以外とは直接的な会話が出来ないそうなのだが、人王であるユアンは例外らしい。その話を詳しく聞きたかったのだ。

「ユアンって英霊なら誰とでも普通に話が出来るの?」

「バベッジ公爵の本邸に行った時のことだね? あの時はフィーが自分から近付いて来てくれたから話せたけど、拒まれちゃえばそれまでだし、どういう盟約を結んでいるかにもよるから、誰とでもということじゃないよ」

「……そっか」

 ユアンが全ての英霊と会話が可能なのであれば、ウィルが話させないようにしていてもバラージュから情報を引き出せるかもしれない。そんな期待を抱いていた葵は肩を落とした。それを見咎められてユアンにどうしたのかと尋ねられてしまったので、葵は慌てて取り繕う。

「そ、そうだ、レイにも聞きたいことがあったんだ」

 苦し紛れでレイチェルに話を振った葵は、そう言ってしまった後で何を問おうかと考えを巡らせた。あまり間を空けても怪しまれそうだったので、とっさに浮かんだ『結婚』という単語を頼りに質問を組み立てる。

「レイってさ、恋人とかいるの?」

「恋人、ですか」

 レイチェルから返ってきたのは答えになっていない独白で、葵は彼女のそうした反応を意外に思った。レイチェルが即答しなかったことで、ユアンも驚きに目を見開いている。

「レイ、恋人いるの?」

「そうですね……恋人、と言っても差支えないであろうお付き合いをさせていただいている方は、います」

「ええっ!?」

 レイチェルの告白は衝撃的で、葵とユアンは同時に驚愕の叫びを発した。二人にそういった反応をされても、レイチェルは無表情を崩すことなく淡々と言葉を続ける。

「そんなに驚かれるようなことですか?」

「だって……ええ? いつの間に?」

 葵はともかく、ユアンはレイチェルと寝食を共にしているのだ。その彼が気付かなかったということは、レイチェルがよほど巧みに隠していたか、つい最近付き合い始めたかのどちらかだろう。ユアンは後者だと思っているようで、さらに質問を続けた。

「もしかして……相手、ロルとか?」

 ユアンが話題に上らせたローデリック=アスキスは、王女の教育係をしている青年である。ユアンが何故彼の名前を出したのかは分からなかったが、その意外な組み合わせに葵も話にのめりこんでしまった。しかしレイチェルは否定も肯定もしなかったので、真相はわからずじまいだ。これ以上質問を重ねてもレイチェルの口から相手の名前が出ることはなさそうだったので、葵はさらに追及しようとしているユアンを遮って話題を変える。

「結婚とか、考えたりしてる?」

「今は考えていませんが、いずれはしたいものですね」

「……レイも女の人だったんだね」

 複雑そうな独白を零したユアンにとって、レイチェルは親にも等しい存在である。そんな人物が嫁ぐ姿など、きっと想像が出来ないのだろう。葵にもあまりレイチェルの結婚した姿が想像出来なかったが、それはそれとして話を続けることにした。

「この世界の結婚って、どんな感じなの?」

「どういうこと?」

 質問の意味が分からなかったようで、ユアンが首を傾げる。先に異世界の話を聞けば質問の意図が分かるのではとレイチェルに言われたので、葵は生まれ育った世界で言う『結婚』について知っている限りのことを語った。

「へぇ、アオイの世界では結婚の時に書類を提出するんだ?」

「スレイバル王国では、そういった習慣はありませんね。貴族の場合は結婚式を行ったあと王家の方々にご報告に上がりますが、庶民の場合はパーティーを行うだけで済みます」

「でもレイの時は、それだけじゃ済まないよね?」

「どうでしょう。相手の方にもよるのではないでしょうか」

 ユアンとレイチェルが二人で話し始めたのを機に、葵は脳内で情報を整理しながら考えに沈んだ。

(結婚式、か……)

 生まれ育った世界のように入籍しただけで結婚したということになるのなら、内々で済ませることが出来る。しかし結婚式をするとなると、結婚したことを隠しておくことは出来ないだろう。

(マジスターが来る、よね)

 ウィルの交友関係など知らないが、結婚式をするとなれば当然、アステルダム分校のマジスターは全員出席するだろう。結婚相手が自分だと知られたらきっとオリヴァーは驚愕し、キリルは激怒する。ハルは……どうだろう。

(……やだなぁ。考えたくない)

 想像してみただけで頭痛がして、胃も痛くなってくる。

「アオイ?」

 不意にユアンが顔を覗き込んできたので、考えに沈んでいた葵はハッとした。葵の顔を見るなり、ユアンは眉をひそめる。

「やっぱり、体調悪いんじゃない? 顔色が悪いよ」

「ううん、平気」

「いえ、確かに顔色が悪いです」

 レイチェルまでもがユアンの意見に同意したため、葵は体の不調ではないのに寝かされることになった。好意を無にするのも悪いと思ってベッドに入ると、レイチェルが小瓶を差し出してくる。

「魔法薬です。これを飲んで、ゆっくりと休んでください」

「あ、ありがと」

「クレアは出掛けているのですか?」

「うん。学校に行ってる」

「分かりました。彼女にはわたくしから連絡を入れておきます」

「そこまでしてくれなくても……」

「体調が悪い時は気弱になりますから、一人でいない方がいいです。その魔法薬を飲んでも治らないようでしたら遠慮せず、アルヴァを頼ってください」

「はい」

 レイチェルのアルヴァに対する物言いが『お姉さん』らしく感じられて、葵はクスリと笑いながら返事をした。葵が素直に頷いたのを見て、レイチェルはユアンに視線を移す。

「それではユアン様、わたくし達はお暇いたしましょう」

「そうだね。アオイ、ゆっくり休んで」

 おやすみのキスを葵の頬に落としてから、ユアンは笑顔で手を振った。しかし踵を返してすぐ、彼は葵を振り返る。

「そうだ、アオイに報告があったんだ」

「え? 何?」

「レムから連絡があったんだよ。例の『ヨーコさん』のファミリーネームを思い出したって」

「あ、そうなんだ?」

「マツモトだって。マツモト=ヨーコ。これで何か、手掛かりが見付かるといいね」

 報告を終えるとユアンは再び手を振り、レイチェルと共に部屋を出て行った。二人の姿が室内から失われると、葵は『マツモト=ヨーコ』という名前を胸中で繰り返しながら手元の小瓶に視線を落とす。

(心配かけてちゃいけないよね)

 葵が気鬱になっていることで心配してくれているのは、ユアンやレイチェルだけではない。クレアもアルヴァも、坩堝島に同行したマジスター達も、みんな心配してくれていたのだ。彼らの顔を順に思い浮かべていった葵はありがたいなと、胸中で呟きを零した。

(明日、ウィルと話しよう)

 情報を得るための交換条件が結婚だと知らされた時はあ然としてしまい、ろくに話も聞けなかった。とにかく、詳しい話を聞かないことには前に進めない。そう思うことで気持ちを立て直してから、葵はレイチェルからもらった小瓶を干して横になった。






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