恋愛のカタチ

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 冬月とうげつ期最後の月である秘色ひそくの月の二十五日。その日の朝、クレアと共に屋敷の玄関扉をくぐった葵はそこで歩みを止めた。クレアはすでに歩き出していたが、葵が追いついて来ないことに気がついて顔を傾けてくる。

「学園、行かないんか?」

 言おうと思っていたことを先に言われてしまい、用意していた言葉を飲み込んだ葵は目を瞬かせた。葵が驚いているのを見て、クレアは嘆息する。

「そないに驚かんでも、見てたら分かるわ。どこか行くんやろ? それも、緊張するような所や」

「そんなことまで分かっちゃうの?」

「アホ。朝から顔が強張りすぎや」

 どこへ行くのか知らないが、そんなにガチガチでは何も出来ないと、クレアは事も無げに言う。次々に図星を突かれた葵は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「まあ、エエわ。ほんなら、うちは学園に行ってくるで」

 そう言い置くとクレアは呪文を唱え、その場から姿を消した。軽く手を振ってクレアを見送った葵は彼女の姿が消えたのを機に、浮かべていた笑みを消す。しばらくその場で待っていると、あまり間を置かずに、ウィルが空から姿を現した。

「何でそこから?」

「そんなの、もう来てたからに決まってるでしょ?」

 わざわざ魔法陣の前で待つことはないと言うと、ウィルはさっそく手を差し伸べてきた。それは転移をする合図のようなもので、葵は再び緊張を漲らせながらウィルの手を取る。

「そんなに緊張しなくていいよ」

 手が触れ合ったことで感情が伝わってしまったらしく、ウィルにはそう言われてしまった。しかし今日は、彼の両親に挨拶に行くのだ。これが緊張せずにいられるわけがない。

(本当に結婚するわけじゃないのに……)

 そんなことを思ってしまってから、葵は自分の浅はかな考えに嫌悪した。確かに愛はないが、結婚は本当にするのだ。しかも十年は連れ添わなければならないのだから、気楽にというわけにはいかない。

(こんなんで大丈夫かな)

 ウィルの手を取ったまま悶々としていると、こめかみのあたりにキスが降ってきた。それで思考を寸断された葵は呆れ気味にウィルを見る。

「ウィルってさ、意外と簡単にこういうことするんだね」

「僕が女の扱いに不慣れだとでも思ってた?」

 心外だったのか軽口なのか分からないことを真顔で言うと、ウィルは後に「自分がうまくやるから何も心配しなくていい」という言葉を続けた。何も言っていないのに胸裏を見透かされてしまうと、頼もしいと言うより、なんだか怖い。

 葵の答えを待たずに話を切り上げると、ウィルは転移の呪文を唱えた。そうして連れて行かれたのはデートの時に訪れたウィルの部屋で、そこで身支度を整えられた後、再び場所を移動する。次に連れて行かれたのは初めて訪れた場所だった。

「ここ、どこ?」

「うちの本邸」

「ああ……あそこね」

「知ってるの?」

「ガードマンがいる所でしょ? 前にアルと色々見学した時に庭だけ見た」

「気に入らないね」

「え?」

「他の男との思い出を、楽しそうに語ったりしないでくれる?」

 どんな理屈だと思いながらも葵は閉口した。呆れた顔すら出来なかったのは、何故かウィルの無表情が怖かったからだ。

(……そっか、ウィルはアルのこと良く思ってないんだっけ)

 人体実験の被験者にされた過去があれば、アルヴァを快く思わないのも当然だろう。自分が失言をしたことに気付いた葵は余計なことを言わないために無言を貫き、歩き出したウィルの後に従った。

 王都にあるヴィンス公爵の本邸はとにかく広く、入り組んだ造りになっている邸内はまるで迷路のようだった。しかも警備が厳しくて、邸内の至る所にガードマンらしき人物が立っていたりする。自宅だけあってウィルは気にせずに歩を進めていたが、初めてヴィンスの本邸を訪れた葵の目にはガードマンが物々しく映った。こんな家で暮らしているウィルの両親とは、どのような人物なのだろう。葵は特に、姑となる母親のことが気になって仕方がなかった。

(結婚報告に行く時って、みんなこんな気分なのかな)

 何と言うか、とにかく気が進まない。これが望んだ結婚であれば心持ちも違ってくるのだろうが、半強制的で性急な結婚では、それも仕方のないことなのだろう。そんなことを思いながら自分を慰めていると、やがてウィルが豪奢な扉の前で歩みを止めた。

「じゃあ、行くよ?」

 扉を開く前にウィルが念を押してきたので、葵は固唾を呑んで頷いて見せる。ガチガチに緊張している葵の肩に自然な感じで手を置くと、ウィルは扉を開けた。






 トリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校して保健室でアルヴァと少し話をした後、クレアは校舎の東にある大空の庭シエル・ガーデンを訪れた。昨日も今日も葵が学園に来ていないためキリルが心配しているのではないかと思っての行動だったのだが、そこに目的の人物の姿はなかった。

「よう」

 軽い挨拶で迎えてくれたのはオリヴァーだった。花園の中に、他の人物の姿はない。

「なんや、一人かいな」

「そうなんだよ。ちょっと話し相手になって行かないか?」

 気さくに「寂しかった」などと言うオリヴァーに笑みで応えたクレアは、向かいの空席に腰を落ち着けた。マジスターの中で唯一一般的な感覚を有しているオリヴァーは、クレアが席に着くと頼まなくても紅茶を淹れてくれる。熱い紅茶を一口だけ含んで、クレアはティーカップをソーサーに戻した。

「他の連中はどないしたんや?」

「キルは実家。あとの二人は知らないな」

「実家? 帰ったんか」

「ああ。ハーヴェイさんと話をしにな」

「アオイのことでかいな?」

「婚約解消の件だから、アオイのことって言えばそうだよな」

「さよか……」

 葵の身を案じてウダウダしているのかと思いきや、キリルは前向きに行動を起こしている。本人がいたら「偉い」と褒めてやりたいところが、クレアは笑みを浮かべるに留めておいた。その表情を見てオリヴァーが何かを言いかけたが、彼はけっきょく口を噤み、それから表情を改めて口火を切る。

「クレアこそ、一人なのか?」

「アオイのこと言うてるんやったら今日も来てないで。せやけど、心配することはあらへん」

「何か悩んでるようなこと言ってたけど、解決したのか?」

「それはまだみたいや。今は話せないんやけど時が来たら話す言うてたわ」

「そうか……」

「アオイが学園に来とらんからキリルが心配してるんやないかと思って様子を見に来たんやけど、余計なお世話やったみたいやな」

「そんなことないと思うぜ。クレアはキルのこと、よく分かってるよ」

「自分で言うのも何やけど、もうオリヴァーよりキリルを操るのが上手いかもしれんで?」

 ニヤリと笑って冗談を言うと、オリヴァーは一瞬間を置いてから吹き出した。静かなシエル・ガーデンに、彼の明るい笑い声が響き渡る。たまにはオリヴァーと二人で話をするのもいいと思いながら、クレアはティーカップを口に運んだ。

「それにしても、ハルやウィルは学園にも来ないで何しとるんや?」

「さあなぁ? ウィルはともかくハルは、案外そこらで寝てるかもしれないぜ」

「ウィルはアオイのことが気にならんのかいな? あれでも一応、アオイのこと好きなんやろ?」

「どうなんだろうな。長い付き合いだけど俺でも時々、あいつが何考えてるのか分からなくなる時がある」

 それでもウィルの思考には、基本的な筋が一本通ってはいるが。オリヴァーがそう言うので、意味が分からなかったクレアは首を傾げた。

「何の筋や?」

「あ〜、いや、それは……忘れてくれ」

 失言だったなと言ってオリヴァーは苦笑いを浮かべた。何か、他人の口から語ってはならないような事情があるのだと察したクレアもあっさりと引き下がる。決して無理に口を割らせるようなことをしないクレアの性分を、オリヴァーは褒め称えた。救われるとまで言われてしまったので、クレアは大袈裟だと苦笑する。

坩堝るつぼ島の人間はみんなこうやで。何も特別なことはあらへん」

「坩堝島か……。せっかく行ったのに、結局はあんまり見学出来なかったな」

「またそのうち行くことになるやろ」

 今は葵があんな状態なので中断しているが、バラージュの情報は何としてでも得なければならないのだ。それが葵との別れに繋がることなど百も承知で、クレアとオリヴァーは束の間、話を途切れさせた。






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