扉を開けると両親が、揃って待ち構えていた。予め話があるとは伝えていたものの、その内容までは明かしていなかったため、彼らの視線は一様に葵の方を向いている。母は怪訝そうな表情で、父は無表情のままでいたが、どちらも考えていることは同じだろう。この見知らぬ少女は、誰なのか。葵の観察が終わればそうした質問を投げかけられることは分かっていたので、ウィルは束の間、この瞬間に至るまでの出来事を思い返していた。
今から十八年ほど前、ウィルはヴィンス公爵家の子として
ウィルとマシェルは双子だが基本的に似ておらず、考え方も大いに違っていた。ウィルはマシェルを陥れることで直接的に自分が優れていることを示そうとしたのだが、マシェルは独力で何かを成し遂げることで間接的に自分が優れていることを示そうとした。まったく違うやり方をした子供達のうち、ヴィンス公爵がトリニスタン魔法学園の本校に入学させたのはマシェルの方だった。
貴族の間では、トリニスタン魔法学園の本校に次期当主を入学させるという暗黙のルールがある。マシェルが本校に入学したことは父が後継者を指名したのと同じことだったが、それでもウィルはまだ爵位を継ぐことを諦めていなかった。本校への入学は逃してしまったが、要はマシェルが爵位を継ぐ前に彼より優れていることを証明してやればいいのだ。アステルダム分校でその算段をしていたウィルは、分校に入学したおかげで思わぬ拾い物をした。それが、ミヤジマ=アオイという少女だ。
「ウィル、こちらのお嬢さんはどなた?」
ひとしきり葵を観察した後、母親が質問を投げかけてきた。この瞬間を待っていたウィルは母親に、柔らかな笑みを返す。
(僕は全てを手に入れる)
決意を今一度胸中で繰り返してから、ウィルはゆっくりと問いの答えを口にした。
「彼女の名はミヤジマ=アオイといいます。本日は父上と母上に結婚の報告をしに来ました」
ウィルがこの場所へ来た真意を明かすと、彼の母親は驚いた様子で目を剥いた。まだ十代の息子から突然「結婚」などという言葉を聞かされれば、驚くのも無理はないだろう。キリルの母親のように反対してくれないだろうかと密かに期待しながら、葵は黙って親子の会話を聞いていた。
「聞いたことのないファミリーネームだが、どこの貴族だ?」
そこで初めて、ウィルの父親が口を開いた。ヴィンス公爵は重々しい落ち着きを感じさせる人物で、その声音も雰囲気に違わず硬質だ。葵は怖そうな人だという印象を受けたが、実の親子だけあって、ウィルは淡々と話に応じている。
「彼女は貴族ではありません。しかし、ユアン=S=フロックハート様に溺愛されています」
「ユアン様に……」
「それだけではありません。彼女はレイチェル=アロースミスとも親しいですし、フェアレディともご友人の関係にあるようです」
息子の話を聞くと、ヴィンス公爵夫妻は驚愕を隠そうともせずに葵を凝視してきた。好奇と畏怖が入り混じった視線は今までにも度々感じてきたもので、それまで悪夢の中にいるような気がしていた葵は一気に現実へと引き戻された。
(ああ……やっぱり、そうなんだ)
わざわざ両親の前でそんなことを言うということは、やはりウィルが欲しているのは葵の持つコネクションというやつなのだろう。結婚したいと言ったことも優しく接しようとしたことも全ては、心ではなく権威を手に入れるため。改めて最低だと思ったが、抗う術のない葵は黙したまま俯いた。ウィルの両親はそれを見られていることに対する居心地の悪さだと受け取ったらしく、顔を伏せたのと同時に視線が離れていく。そしてまた、葵の意が及ばないところで親子の会話が再開された。
「結婚を、許していただけますね?」
「よかろう。式はいつ挙げる?」
「すぐにでも、と言いたいところですが、父上にもご都合があるでしょう。間もなく
ヴィンス公爵がウィルの提案をあっさり受け入れてしまったため、結婚話はとんとん拍子で進んで行った。葵は母親から反対意見が出るのではないかと彼女を見たが、閉口したままでいる夫人からはそのような様子も窺えない。しかし話がまとまりかけた時、異変は起こった。結婚式について話をしていたウィルと公爵が、同時に口を閉ざしてあらぬ方向を振り向いたのである。ウィルの母親もそうしていて、葵だけがワンテンポ遅れて扉を振り返った。
葵が背後を振り返った刹那、扉が外側から荒々しく開かれた。勢い良く室内に飛び込んで来たのは、ウィルやその父親と同じく真っ赤な髪を持つ少年。ウィルの双子の兄弟である、マシェル=ヴィンスだ。
「くそウィル!!」
怒りの形相で姿を現したマシェルはウィルに目を留めると、突然殴りかかった。風を体に纏わせたウィルが宙に逃れて躱したので拳は空を切ってしまったが、マシェルはすぐに体勢を立て直してウィルを睨みつける。
「てめぇ! 降りて来い!!」
「何でお前がこんな所にいるの?」
トリニスタン魔法学園の本校に通う者は卒業するまで、自由に外出することなど出来ないはずである。ウィルが冷ややかな声でそう問いかけた刹那、外部からまた一人新たな人物が姿を現した。マシェルの登場によってただでさえあ然としていた葵はその人物の姿を見て、さらに茫然とする。
「ハル……」
何故、ここにいるのか。そう問いかけたのはウィルだったが、彼はハルから答えを得る前に自力で問題を解決したようだった。
「ああ、そう。そういうこと」
マシェルを連れて来たのがハルであることを、葵はウィルの独白によって知った。しかし依然として何が何だか分からないままウィルを見上げた葵は、ハルが現れたことで隙の出来たウィルをマシェルが捕まえる場面を目撃した。ウィルを引きずり下ろしたマシェルは彼の胸倉を掴み、凄むように詰め寄っている。
「お前、最低にも程があるだろ! 抵抗出来ない女を脅すなんて男として恥ずかしくないのか!!」
「脅す? 人聞きの悪いこと言わないでもらいたいね。僕とアオイは合意の上で結婚するんだよ」
「元の世界に帰りたかったら結婚しろとか言っといて脅しじゃないつもりかよ! どこまで腐ってやがるんだ、てめぇはよ!!」
「これは僕とアオイの問題なんだから、お前にそんなこと言う権利はないよ。いい加減、この薄汚い手を離せ」
「そんなに欲しいんだったら爵位なんかくれてやる!」
何かをしかけていたウィルは、マシェルの一言によってピタリと動きを止めた。苛立たしげな様子でウィルから手を離すと、マシェルは憤りをそのままに父親を振り返る。
「父上、聞いた通りです。オレは爵位を放棄するから、こいつにくれてやって下さい!」
自分は爵位が欲しくて本校に行ったわけではない。ただ学びたかったから本校に行っただけで、爵位の放棄に必要であれば学園も辞める。マシェルがそう捲くし立てると、傍で話を聞いていたウィルが突然笑い出した。
「お前にとって爵位は、その程度のものだったのか」
「無関係な女の人生狂わせてまで欲しいなんて思わねぇよ! 爵位なんてもんがなくても人間として真っ当に生きてりゃ、オレはそれでいい!」
「バカじゃないの? 何でこんな無能なヤツと同じ血が流れてなきゃいけないんだろう」
自嘲なのか嘲笑なのか分からないが、ウィルはとにかく笑い続けた。他には口を開く者がいなかったので、ウィルの昏い笑い声だけが室内に響き渡っている。ひとしきりそうした後、ウィルは真顔に戻ってマシェルに目を向けた。
「ヴィンスの家督は僕が継ぐ。でもアオイとの結婚も止めるつもりはないよ」
「お前、まだ……」
そんなことを言っているのかとマシェルが怒声を発した瞬間、ハルが無言でウィルを殴りつけた。マシェルの攻撃には備えていてもハルの行動は予想外だったようで、無防備に殴られたウィルは床にへたりこむ。マシェルもあ然としていたので、室内は束の間、時が止まったようになった。
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