恋愛のカタチ

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「目、覚めた?」

 凍り付いていた時を動かしたのは倒れこんだウィルの傍らでしゃがみ込んだ、ハルの平静な声だった。感情を表さない面も静かな声音も平素の通りで、誰もが激動の中にあっても彼だけは揺らいでいない。その安定感はウィルの心に変化を及ぼしたようで、口元に滲んだ血を拭ったウィルもいつもの調子で答えた。

「何で僕が、ハルに殴られなくちゃいけないの?」

「ウィルがバカなことしてるから」

「バカって何? うちの事情なんてろくに知らないくせに、知った風なこと言わないで欲しいね」

「家族のことは、分からない。だけどこんな結婚はしたらダメだ」

「……こんな結婚って何? 愛がないからとでも言いたいわけ?」

「気持ちがなかったら、結婚したってうまくいかない」

「僕がアオイを好きじゃないなんて、何で言えるの?」

「好きなら、尚更」

 ウィルの目的が何であれ葵を好きだという気持ちがあるのなら、尚更こんな結婚はするべきではない。ウィルのためにも、葵のためにも、だ。ハルの言葉に何か思うことでもあったのか、減らず口を叩いていたウィルは口を噤んだ。口が達者なウィルを言葉で言い負かしてしまった後、ハルはさらに話を続ける。

「アオイに、何か言うことがあるんじゃないの?」

 茫然と成り行きを見ていた葵はハルとウィルに視線を向けられたことで我に返った。自力で立ち上がったウィルがゆっくりと、こちらに歩み寄って来る。その顔にはもう怨恨も憤りも策謀も浮かんでいなくて、葵も神妙な心持ちでウィルを迎えた。向かい合う形で足を止めると、ウィルは嘆息してから口火を切る。

「アオイが召喚獣だっていうのは、だいぶ前から知ってた。初めてその話を聞いた時は驚いたけど、その時は純粋に研究意欲しか湧いてこなかったんだ。でもレイチェル=アロースミスからアオイの話を聞いて、考え方が変わった」

 葵は異世界の者であり、自分の意思ではなくこの世界にやって来た。葵を召喚したユアンはこの国の権力者であり、元の世界に帰りたいと望む以外は、大抵の望みは叶えてあげられるだけの力を持っている。しかし葵は、権力を行使するようなことは何も望まなかった。それどころかユアンの不利にならないよう、いつも配慮して行動をしてくれていたのだ。葵がそのような人物であるからこそ、自分もユアンも彼女を大切にしなければと強く思う。レイチェルはそう、ウィルに語ったらしい。

「この話を聞いた時はアオイのことを凄いと思ったし、利用出来るとも思った。今でもアオイの価値は魅力的だと思うから、結婚したいって気持ちも純粋なものじゃないかもしれない。でも、信じてくれないかもしれないけど、アオイと結婚したいと思ったのはそれだけが理由じゃない。生まれ育った世界が違う人だからかな? 一緒にいると新鮮な気持ちになれて楽しいんだ。誰かにこんな気持ちを抱いたのは、初めてだった」

 葵のような人は、どこを探したって他にはいない。そう実感するほどに執着心が膨らんでいったのだとウィルが語るので、葵は複雑な気持ちになっていった。本心を見せないよう振る舞っていたが、優しく接してくれたのは演技ではなかったらしい。キリルとはまた違った意味で、彼もひどく不器用だ。

「好きなんだ。結婚は本心からしたいと思ってる」

 ウィルが本心を曝け出してそう言うのなら、自分も打算は捨てて本心で応えなければならない。その結果、ウィルがどういった行動に出るのかまでは読めないが、気持ちを偽ることは出来ないと思った葵は素直に頭を下げた。

「ごめんなさい。私、ウィルとは結婚出来ない」

「……じゃあ、付き合うのは?」

「それも、無理。気持ちは本当に嬉しいんだけど、ごめん」

「嬉しいなんて、思ってもないこと言わないでよ」

 ウィルの口調がムッとしたような感じになったので、葵は恐る恐る顔を上げる。すると声音に反して、ウィルは苦笑いのような表情を浮かべていた。

「キルがあれだけしつこく言い寄ってもなびかないんだから、断られるって分かってたよ。フラれたのなんて初めてだ。貴重な経験をありがとう」

 一生根に持ってやるとウィルが恐ろしいことを言うので、冗談なのか本気なのか分からなかった葵は頬を引きつらせた。ハルに殴られた傷が痛むのか、ウィルは真顔に戻って頬に手を当てる。それから葵にしか聞こえないように、小さく「ごめん」と呟いた。

「お望み通りフラれたよ。これで満足?」

 ウィルが憎まれ口を叩きながら近付くと、ハルは笑みを浮かべて応えた。ハルが笑ったのを見て、ウィルは思いきり顔をしかめている。おとなしそうな顔して実は自分より性格悪いんじゃないのと毒づくウィルに「そうかもしれない」などと平気な顔で言うと、ハルは表情を改めてからヴィンス公爵達の元へ向かった。鉄槌を下してしまったことをウィルの両親に謝っているハルを見ているとマシェルが近くに来たので、葵はそちらに顔を向ける。

「巻き込んじゃって、ごめん」

「何言ってんだ。巻き込まれたのはそっちだろ」

 苦々しい表情で言うと、マシェルは葵を送ってくると言い置いてから歩き出した。部屋を出て二人きりになると、マシェルは途端に大きなため息をつく。彼の身を案じた葵は歩きながらマシェルの顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「やっちまった。オレもウィルも、後で絶対怒られるな」

 葵はマシェルが本校のしきたりを気にしているのだと思っていたのだが、悩みの種は別のところにあったらしい。奔放そうなマシェルが両親の顔色を気にしていることが意外で、少しおかしかった葵は小さく吹き出した。それを聞き咎めて、マシェルが嫌そうな表情を作る。

「笑い事じゃねーよ。うちの両親、怖いんだぜ?」

「ああ……うん、厳しそうな感じではあったかな」

「感情的になるなっていつも言われてんだけどさぁ、くそウィルがあまりにも汚いからつい、カッとなっちまった」

「……ありがとう。マシェルとハルが来てくれなかったら、私もウィルも本当のことが言えなかったと思う」

「おいおい、あんだけ卑怯なことされといてウィルの心配まですんのか? とんだお人好しだな」

 それでもマシェルは、だからこそウィルが惚れたんだろうけどなと複雑そうな表情で言葉を付け足した。そんなことを言うところをみると、マシェルの方も本気でウィルを疎んでいるわけではないらしい。兄弟の結びつきが見えたことが胸を暖かくさせて、葵は穏やかな気持ちで笑みを浮かべた。

「でも、本校って簡単に出たり入ったり出来る所じゃないんでしょ? 大丈夫なの?」

「無断で出て来ちまったからな、下手すりゃ退学だ。でもオレより、バレたらハルの方がやべぇよ」

「ハル?」

「一度退学した者は、二度と本校の土を踏むことを許されないんだ。罰則も無断で学園を抜け出した奴より厳しく設定されてる」

 ハルは一度分校から本校に転学し、本校を辞めて分校に戻って来た身である。そういった罰則があることも、ハルはもちろん知っていた。それでも彼はマシェルでないとウィルを動かすことは出来ないからと、本校に忍び込んだらしい。それが自分のためではないと分かってはいても、葵にはハルの優しさが嬉しかった。

「に、しても。驚いたよなぁ。まさかハルがウィルをぶっ飛ばすとは思わなかった」

「私も驚いた。普段は暴力なんて振るう人じゃないのに」

 ハルがウィルを殴ったのはもちろん、ただの暴力とは訳が違う。それでも葵やマシェルが驚いたのは、普段の彼が実力行使とはかけ離れた言動をしているからだ。引けと言われれば詮索もせず素直に従い、決して積極的には他人のことに介入しない。そのような人物ではあっても、友情のためならば変われるのだろう。ハルはそれを、葵達の目の前で証明してみせたのだ。

「……ちょっと羨ましいかも」

「何がだ?」

「友情って感じが」

「ハルのこと言ってんだったら、アレはたぶんそれだけじゃないぜ」

「ん?」

 言葉の意味を汲めなかった葵が首を傾げると、マシェルは含み笑いを浮かべた。

「分からないならいいんじゃねーの? それよりそのドレス、なかなか似合ってるじゃん」

 その姿で上目遣いをされるとそそる・・・などと、マシェルは軽口を言う。誤魔化されたような気がした葵は眉をひそめたが、ハルが現れたのでマシェルを追及することは出来なかった。

「お、帰るのか?」

「帰っていいって言われたから」

「じゃあ、アオイを送ってやれよ。オレはこれから家族会議だ」

「分かった」

「面倒かけて悪かったな」

 ハルと言葉を交わした後、葵とハルの二人に向かって謝罪をするとマシェルは踵を返して去っていた。マシェルの姿が見えなくなるまで見送ってから、葵は改めてハルを見る。

「ありがとう」

「何が?」

「マシェルを連れて来てくれて。私のためにしてくれたことじゃないのは分かってるけど、結婚しなくてもよくなったみたいだし、お礼を言わせて」

 ハルはうんともすんとも言わなかったが、気持ちを表すのは言葉や表情だけではない。すでに行動で優しさを示してもらっていたので、葵は顔がにやけるのを止められずに言葉を続けた。

「ハルはたぶん言わないと思うけど、今回のことはオリヴァーやキリルにも黙っててね。それでマジスターが気まずくなるのもイヤだし」

「……あんた、オリヴァー以上にお人好しだな」

「あはは。オリヴァーの方がきっと凄いよ」

 オリヴァーの懐の広さを知っている葵は本心からそう思っていたのだが、冗談だと受け取ったようでハルも笑みを浮かべた。そのあどけない表情を見ていると、改めて思う。この人が、好きなのだと。

(……大好き)

 口には出来ない想いを胸中で呟いた後、葵は表情を改めてから言葉を次いだ。

「そうだ、もう一つお願いがあるんだけど」

「何?」

「家に帰る前にどこかで着替えたいなぁ……なんて」

 葵は今、ドレス姿である。こんな恰好で屋敷に帰ればまず間違いなく、クレアに不審がられてしまうだろう。それは事態を大きくしたくないと思っている葵にとって好まざることだ。しかし着替えはヴィンス家の別邸にあり、今はウィルにそんなことを頼んでいる場合でもない。何とかしてと葵が言うとハルは無言で頷き、葵の願いを聞き入れてくれた。






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