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 夜空に二つの月が浮かぶ世界では地図を開いた時、そこには大陸が二つ存在している。東のゼロ大陸はスレイバルという王国が統治していて、この国では古くから魔法の研究が盛んだ。対する西のファスト大陸は大小様々な国が林立していて、それぞれに独自の文化を有している。魔法とは文化であり、その成熟度という観点から見ればファスト大陸は、統一王国が支配するゼロ大陸に遠く及ばない。魔法力の優劣は国力の差でもあり、ファスト大陸の国々はスレイバル王国に伺いを立てている所が多い。そんな中にあってフロンティエールという国は、特殊な国内事情でもってスレイバル王国との結びつきを強めていた。

 水の都であるフロンティエールは、朝方になると濃霧が発生する。都市をすっぽりと包んでしまう霧は国内中に張り巡らされている水路から発生するもので、太陽の上昇と共に、ゆっくりと薄れていくのだ。霧の中から現れる街並みは自然と調和していて、心が洗われる美しさがあった。そんな夜明けの光景を、王宮内に設置された見張り台から眺めている少年がいる。栗色の髪を穏やかな風に弄ばれている彼はゼロ大陸からやって来た貴族の子息で、名をハル=ヒューイットといった。

「こちらにいらしたのですか」

 梯子を上る音が途絶えると同時に声が聞こえてきたため、絶景を堪能していたハルは背後を振り返った。姿を現したのは、まだ二十代と思われる青年。彼はこの国の王子の従者で、名をビノといった。

「王子がお呼びです」

 ビノが何かを言ったので、ハルは無言で頷いて見せた。まだなんとなくしか言葉が分からないのだが、大抵のことはニュアンスで伝わってくる。彼が姿を現したということは、おそらく王子が呼んでいるのだろう。

 見張り台を後にしたハルはビノに連れられて、王宮内にある王子の執務室を訪れた。室内にはすでに着替えを済ませた黒髪の少年がいて、彼はハルを見るなり嫌そうな顔をする。この国の王子であるジノクは、ハルのことが嫌いなのだ。彼には消えてくれないかと、目の前で言われたこともある。

「遅いぞ」

「申し訳ございません。ハル様が寝所にいらっしゃらなかったので、探すのに手間取ってしまいました」

「寝所にいなければどこにいたというのだ」

「東の見張り台に。あそこは眺望がいいので、気に入られているのではないかと」

 ジノクとビノが何やら話しているのを、ハルは聞くともなく聞いていた。ところどころ単語を聞き取ることは出来るのだが、通常の会話となると、まだ文章を繋げることが難しい。それというのも何の準備もなくこの国に来たからで、滞在が一ヶ月にも満たないのでは、誰でもそんなものだろう。

 ジノクとビノは以前、スレイバル王国に滞在していたことがある。その時に言葉の壁を感じなかったのは、彼らの方がスレイバル王国に来たからだ。魔法が発達したゼロ大陸では、翻訳も魔法によって行うことが出来る。しかしフロンティエールでは魔法自体が効力を有さないため、現地の言葉を地道に学習するしかなかった。最近ではその特異な環境が健康志向の貴族に受け入れられて、スレイバル王国からの旅行客が急増していると聞く。そういった者達のためにフロンティエールの言語を習得した通訳が派遣されているのだが、ハルにはその恩恵が一切与えられていなかった。そのためスムーズに会話が出来ず、ジノクが苛立つのは毎度のことである。最近では少し、諦めも入ってきているようだ。

「もういい。行くぞ」

 げんなりした様子のジノクが歩き出したので、ハルもその後に従った。彼はその足で王宮を後にして、朝靄に包まれている街を舟で移動する。目的地と思われる場所に辿り着いたのは、すでに霧が跡形もなく姿を消した頃だった。

「ハル様、どうぞ」

 青々と茂った植物を前にして、ビノから渡されたのは鎌だった。目の前の光景と手にした道具から察するに、刈り取れということだろう。

「余はここで見ている。しっかりと働け」

 椅子を持って来させたジノクは腰を落ち着けると、さっそく別のことを始めた。彼の前には書類と思われる紙の束と、小瓶に入ったサンプルと思しき植物が置かれている。あまり他人を気にしない性質のハルは特に不満を抱くでもなく、自分にあてがわされた作業を始めた。ビノが手本を見せてくれたので、ハルはどんどん植物を刈っていく。根は残しているので、この植物は再び葉を伸ばすのだろう。ただし再生には、それなりの時間をかけなければならない。それは魔法によって育成を促進するゼロ大陸では、考えられないことだった。

 もしも魔法がなければ、種を撒いた植物は土を割って芽を出し、太陽の光を浴びて成長していく。生育は日照や気候、土壌といったものに左右され、全てが収穫に適するとは限らないのだ。魔法に精通している者ほど、そうした自然のことを非合理的だと感じるのかもしれない。しかしハルは、時間がかかる収穫を不満に思うことはなかった。むしろこの地の自然は、生きている・・・・・感じがして心を傾けたくなる。幼い頃から慣れ親しんだ『大地』に新たな側面を見出しながら、ハルはひたすらに植物を刈り続けた。






「黙々と働かれていますね」

 小休止のため傍へ戻ったビノが滴る汗を拭いながら感想を述べたので、片手間に観察を怠らなかったジノクは本格的に書類を置いた。その間も、ハルは休むことなく植物を刈り続けている。その姿はとても、魔法が発達した大国から来た貴族の子息とは思えなかった。

「よく分からぬ男だ」

 フロンティエールで再会したハルは、ジノクの記憶にある人物とは随分と印象が違っていた。最初は言葉が解らないから無反応なのだと思っていたが、どうもそれだけではないような気がする。ハルがフロンティエールに来てから様々なことをやらせてみたが、彼はどんな要求にも眉一つ動かさずに対応するのだ。不満を顔に出すどころか、頷くか無反応でいるかしか、ハルのリアクションは見たことがない。

「間もなく期限ですね」

 ビノが口にしたのは、スレイバル王国の要人であるユアン=S=フロックハートと交わした約束のことである。彼がハルをフロンティエールに送り込んできたのだが、その意図はハルに適応力があるかどうかを見定めて欲しいというものだった。何故適応力が必要なのかといえば、ハルがミヤジマ=アオイという少女と共に異世界へ行くかららしい。その異世界と酷似した環境が、このフロンティエールなのだ。

 ハルがフロンティエールにとって不適合者と判断されれば異世界へは行かせないと、ユアンは事前に断言していた。そしてその采配を、彼はジノクに委ねたのだ。ジノクが否と言えば、葵とハルを永遠に引き離すことが出来る。それはミヤジマ=アオイという少女に恋心を抱いていたジノクにとって、なんとも複雑な依頼だった。

「王子、ハル様は悪い方ではないと思われます」

 スレイバル王国まで同行したビノは、ジノクが葵に本気であったことを知っている。すでに終わったことではあるが、過去の因縁が判断を歪めてしまうのではないかと、彼は心配しているようだ。ビノの発言を軽く手を上げることで制し、ジノクはいらぬ気遣いであることを伝えた。

「分かっている。余はフロンティエールの王子として、スレイバル王国要人の依頼を受けたのだ」

「王子……、御立派です」

「そなたは少し黙っておれ」

 感涙しそうなビノを邪険に追い払い、ジノクは再び労働に勤しむハルを見据えた。言葉が通じないというのはなんとも不便なもので、会話がままならないようではコミュニケーションの取り様がない。だからハルは黙って、命じられたことをこなしているのか。そこまで考えたところで、ジノクは自分の思考を否定した。

「いや、違うな。あれはただ鈍いのだ」

 言葉が通じないことは、おそらくあまり関係がない。ハルは独自のペースを崩さない人物で、不動の大地のような図太さを感じる。スレイバル王国で出会った時はよく口の回る軽薄な男でしかなかったが、本来の彼は今の姿の方なのだろう。そう考えた方が、葵が惹かれた理由をまだ理解出来る気がした。

 寝食を共にして、ハルが思っていたような悪人ではないことは分かった。しかし、それにしても趣味が悪いと、ジノクは澄み渡った夏の空を大きく仰いだ。






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