最後の夜

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 葵からの問いかけに口を噤んだステラは、どう答えるべきなのか考えを巡らせているように見えた。言葉を選んで欲しくなくて、葵は再度口火を切る。

「ホントのこと、聞かせて?」

「……分かったわ」

 包み隠さず話して欲しいという葵の要望を受けて、嘆息したステラは空を仰いだ。その視線の先には、伽羅茶色の二月がぽっかりと浮かんでいる。

「ハルが一人の女性として愛していると言ってくれたのも、こんな月の下だったわ」

 ステラが独白を零したことで、葵の脳裏にはその時の光景が鮮明に蘇った。それはトリニスタン魔法学園の創立祭の夜で、シックなドレスを纏った彼女は月下に舞い降りた天使のようだった。そして彼らは、月明かりの下で口づけを交わした。まるで映画のワンシーンのような美しさを、葵は未だ忘れられずにいる。しかし葵が見ていたことなど知らないステラは、視線を葵に戻すと淡々と言葉を重ねた。

「私ね、ハルのことが好きだった。今でも彼は特別な存在だわ」

 今まで確かめることが出来なかったステラの本音は予想していた以上に、葵に衝撃を与えた。自分がハルを奪ったという引け目よりも、互いに想い合っていた二人が終わってしまったことが悲しい。切なさに胸が軋んだのは、ハルの苦しみを間近で見てきたからだ。ステラもまた同じ哀しみを抱えていたのだと思うと、やりきれなかった。

「そんな表情かおをしないで」

 葵があまりにも顔を歪めたからか、ステラは困ったように微笑んだ。そして彼女は、穏やかに言葉を次ぐ。

「ハルと別れたこと、納得はしているの。ハルは私にとって自分が必要ではないと言っていたけれど、それは逆だわ。ハルにとって必要な人が、私ではなかったのよ」

「……どういうこと?」

 ハルがステラにとって自分が必要ではないと言っていた気持ちは、なんとなく理解することができた。しかしステラの言葉はどう解釈すればいいのか分からず、眉をひそめた葵は真意を問う。わずかに口唇を引いて、ステラは答えを口にした。

「アオイはハルが、トリニスタン魔法学園の本校に適していると思う?」

 質問の意図が分からなかったが、葵は考えるまでもなく首を横に振った。本校は優秀且つ熱意のある生徒が集う場所で、ハルのように魔法に関心の薄い者には適さない。それは本人も言っていたことであり、ハルを知る者にとっては明白なことだ。自分もそう思うと同意して、ステラは話を続けた。

「私ね、去年の創立祭のときハルに告白されたの。けれど本校への編入を考えていたから、彼の気持ちに応えることが出来なかった。すぐに離れ離れになってしまうし、着いて来て欲しいとも言えなかったから」

「……うん」

「だからハルが、本校に編入して来た時は本当に驚いたわ。 ……嬉しかった。私が催促したのではなく、ハルが自分で決めて私を追って来てくれたことが、この上ないほどに」

 しかしハルは、そのためだけに本校へ行ってしまった。何か一つでも他に興味を抱けるものがあれば良かったのだが、元々魔法に関心がなく、社交的な性格でもない彼は何も見つけることが出来なかったのだと、ステラは過去を語る。唯一馴染みのあったマシェルとだけは良好な関係を築いていたようなのだが、他には友人らしい友人もいない。ステラは忙しくしていたため、ハルは暇を持て余すことが多かったらしい。

 人の興味や関心がどこへ向かうのかは、個人の性格に因るところが大きい。だから何にも興味を示せなくとも、それは責められることではない。ハルもハルのままでいればいいし、ありのままの彼を、ステラは愛していた。だが結果として、自分のそうした考えがハルを追い詰めてしまったのかもしれない。そう、懺悔するように告白したステラを見ていて、葵はアステルダム分校に戻って来た直後のハルを思い返していた。

「ハルも同じこと言ってた。自分もありのままのステラが好きだから、隣にいるのが自分でいいとは思えないって」

「そんなこと、言ってもらえる資格がないわ」

「資格?」

 ステラの口から思いもよらぬ言葉が発せられたので、理解の及ばなかった葵は眉をひそめた。ステラは苦い微笑みを浮かべていて、目を伏せながら言葉を続ける。

「私ね、ハルが何に悩んでいるか知っていたわ。どうすれば彼の苦悩を取り除けるのか、その答えも得ていた。でもね、言えなかったの」

 ハルのことを本当に愛していたのなら、一緒にアステルダム分校へ戻ろうと告げるべきだった。ステラがそう言うのを聞いて、葵は目を見開いた。

「え……でも、」

 本校へ入学することは、ステラにとって夢への第一歩だったはずだ。いくら恋人のためとはいえ、そう簡単に捨てられるものだとは思えない。そうした葵の驚きを汲んで、ステラは自嘲気味な笑みを浮かべる。

「そう、私は恋人よりも自分の理想を優先させたのよ。本校を辞めても、勉強なんていくらでも出来るのにね」

「それは……」

 ステラを擁護しようとしたものの、結局は何も言えずに、葵は口を閉ざした。夢をとるか、恋愛をとるか。その二者択一は、葵が帰還か残留かの選択を迫られた時に似ている。苦悩して、苦悩して、自分では選択出来ないでいるうちに、ハルの方が身を引いてしまったのだろう。同じような苦しみを経験した葵には、ステラの気持ちが痛いほどよく分かった。

「ねぇ、訊いてもいい?」

 重苦しい沈黙がしばらく続いた後、ステラが気分を変えるように明るく声をかけてきた。切なさの余韻を胸に残したまま、葵も笑みを作って頷いて見せる。するとステラも笑って、ハルが異世界に行くことになった経緯を尋ねてきた。

「この世界でハルと暮らしていこうとは思わなかったの?」

「……正直、帰るか帰らないかっていうのはすごく悩んだ。でもやっぱり、私は帰らなくちゃいけないと思うんだよね。だから帰ることに決めたの」

「それでハルが、一緒に行くと言ったの?」

「えっと、結果的にはそうなるのかな」

 言葉にしてしまえば簡単なことだが、実際はそれほどスムーズな話ではなかった。決意する直前までまともな話し合いを避けていた葵はハルに挑発されて、着いて来てと泣き喚いたのだ。それまでの鬱憤を爆発させた葵に「いいよ」と言ってのけたハルは、初めから葵の決断に身を委ねるつもりだったらしい。葵がそうした話を聞かせると、ステラは「すごいわね」と嘆息した。

「ハルに気持ちを伝えること、葛藤があったでしょう?」

「そりゃ、まあ……。違う世界に来てくれなんて、とんでもないもん」

「そうよね。それでもアオイは、自分が望んでいることをきちんと伝えられた。私には出来なかったことだわ」

 勇気のある決断だと葵を褒めたステラは、その申し出をあっさりと受け入れたハルのことも称賛した。

「少し、悔しいけれどね。私の時は諦めてしまったのに、アオイのことは放さなかったなんて」

 ステラはいたずらっぽい笑みを浮かべていたが、葵は居たたまれない気持ちになってしまった。小さくなった葵を見て、真顔に戻ったステラは胸を張れと言う。

「アオイは素直で優しくて素敵な女性だわ。ハルにとって必要な存在なのだから、堂々としていればいいのよ」

 毅然として言葉を紡いだステラからは、もう過去の感傷は窺えなかった。勢いに押されて頷いた葵を見て、彼女は満足そうな笑みを浮かべる。

「そういえば、まだちゃんと言ってなかったわよね? 結婚、おめでとう」

 その一言を聞いた刹那、万感の思いが葵の胸を充たした。知らないうちに涙が零れていて、その冷たさで我に返った葵は慌てて顔を拭う。するとステラが、ハンカチを差し出してきた。

「お化粧が崩れてしまうわ」

「ありがとう……」

「ハルを、幸せにしてあげてね」

「……うん、」

 もう泣くのは止めて、葵は精一杯の笑顔でステラの気持ちに応えた。ステラも破顔して、手にしていた卵に視線を移す。

「そろそろ戻りましょう」

 そう言うと、ステラは二人だけの密談に終わりを告げた。地に落ちた卵は音もなく割れて、そのまま霧散していく。同時に、それまで途絶えていた大広間の喧騒が蘇った。

「ステラ、」

 すでに踵を返していたステラは、葵の呼びかけに反応して振り返った。足を止めた彼女に近寄って、葵はその頬に口唇を寄せる。そのままステラの華奢な体を引き寄せて、耳元で囁いた。

「ありがとう。大好きだよ」

「私もよ」

 別れを惜しむ抱擁をした後、葵とステラはどちらからともなく体を離した。目が合うと、自然と笑みが零れる。笑い合いながら、二人は大広間へと戻って行った。






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