誠意

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 ユアンとレイチェルに別れを告げた後、葵はアルヴァと共にトリニスタン魔法学園アステルダム分校に戻って来た。この学園には敷地の東側に用途不明の建造物がたくさんあり、その中の一つに、壁面に大きな穴が開いている塔がある。そこでは何故か携帯電話が繋がるため、一人で塔を訪れた葵は異世界の友人である弥也ややという少女に電話をかけた。

『落ち着いた?』

 電話口に出るなり、弥也は開口一番に尋ねてきた。平常心であるか否かを問われてしまったのは、前回の電話の時に動揺したまま別れたからだ。葵にとっては数日前の出来事だったが、弥也にとってはせいぜい数時間前の出来事であり、すでに冷静さを取り戻している葵は苦笑いを浮かべながら答えた。

「もう大丈夫」

『じゃあ、マツモトさんの話しても平気?』

 弥也が口にした『マツモトヨウコ』という人物は葵と同じく異世界から召喚され、その後、生まれ育った世界に戻った女性のことである。以前に弥也と電話をした時、彼女は二台の電話機を駆使してヨウコの言葉を葵に伝えてくれた。葵との通話を終えた後もヨウコとはしばらく話を続けたらしく、彼女から色々な話を聞いたと弥也は言う。

『葵にとってはショックなこともあるだろうからさ、心の準備が必要ならまたにするけど』

「ううん、平気。話して」

『分かった』

 気を遣ってくれた後、弥也は一つ息を吐いてから話を始めた。

『マツモトさんがこっちの世界に帰って来たの、七年前のことなんだって。今は結婚して幸せに暮らしてるらしいんだけど、戻って来て最初の頃はすごく苦労したみたい』

 日本には戻れたらしいのだが、未来の世界はすっかり様変わりしていた。その変貌ぶりはまた異世界に飛ばされたのかと疑ったほどだと、ヨウコは語っていたという。順当に歳を重ねていれば、彼女はもう六十代後半から七十代のはずなのだ。三十年から四十年の歳月を一気に飛ばしてしまっては、混乱するのは無理もない。しかし弥也の話において、葵が一番気になったのはそこではなかった。

「結婚、してるんだ?」

『うん。こっちの世界に戻って来て、誰も知り合いがいなくて困ってる時に助けてくれた人なんだって』

 ドラマのような恋愛だと弥也は言っていたが、マツモトヨウコという女性が世界の壁を越えて愛してしまった男性を知っているだけに、葵は複雑な気持ちになった。

「ヨーコさん……バラージュのことは何か言ってた?」

『言ってたよ。葵にすごく話を聞きたがってた。その人について何か知ってることがあったら、どんなに小さなことでもいいから教えて欲しいって』

「……そっか」

 弥也の説明からでも、ヨウコの気持ちは痛いほど伝わってきた。結果的に離れることになってしまったが、彼女は今でもバラージュを愛しているのだろう。出会わなければ良かったと思うことなど、なかったのだ。それが分かって、葵は優しい気持ちに包まれた。

 バラージュにはもうヨウコの気持ちを伝えることは出来ないが、ヨウコにはバラージュがどんな想いでいたのかを教えてあげることが出来る。彼女にそれを伝えるのは、バラージュの最期を見届けた自分の義務だ。そう思った葵は『帰らなければ』という思いをいっそう強くした。

「私、絶対その時代に帰ってヨーコさんと会うから。そう、伝えてくれる?」

『分かった。そっちで何か、いい方法が見付かったの?』

「まだ確実じゃないんだけど、時の精霊を見つけられれば何とかなるかもしれないんだって」

『トキ……時? の、精霊?』

 電話越しでは意思の疎通が出来ているのか危うい時もあるが、おそらく今は、弥也の脳裏に浮かんでいるものと葵が思い描いていることは同じだろう。弥也もよくファンタジー小説や漫画を読んでいるので、こういう時には話が早くて助かる。

「たぶん時間をあやつるとか、そんな感じの精霊のことなんじゃないかと思う。でもこっちの世界には時計とかなくてさ、自分が考えてることをうまく説明出来ないんだよね」

『時計がないの?』

「そう。だからすごい、大雑把」

 そう言って笑ったところでふと、葵は自分の言葉に引っかかりを覚えた。何が気になったのかと考えこんでいると、携帯電話の向こう側から弥也の声と共に鐘の音が聞こえてくる。聞き覚えのあるメロディに思考を遮られた葵は弥也との会話に意識を戻しながら首を傾げた。

「今の、チャイム?」

『うん。今、学校だから』

「えっ、大丈夫なの?」

 チャイムが聞こえたということは休み時間が終わりを告げたのだろう。教室に戻らなくていいのかと葵は心配したのだが、弥也は『サボる』と言って通話を続けた。

「……ん? チャイム?」

『何? チャイムがどうかしたの?』

「チャイムってさ、時間になったら鳴るものだよね?」

 言葉自体は問いかけの形をとっていたが、それは弥也からの返答を期待して出たものではなかった。独白を零したことで、何が引っかかっていたのかを理解した葵は慌てて言葉を次ぐ。

「ごめん、また電話する」

『何か思いついたっぽいね?』

「うん」

 明るく頷いて電話を切ると、葵はすぐに塔を後にした。急いで保健室に戻るとアルヴァがアイスティーを淹れてくれたので、冷たい飲み物で喉を潤してから本題を口にした。

「アル、クロ……なんとか」

「くろ、なんとか?」

「ほら、前に話してくれたじゃん。この学校のどこかにいるっていう、鐘の管理人」

「ああ、鐘の番人クローシュ・ガルデのこと?」

「そう、それ! 時の精霊ってその人のことじゃない?」

 トリニスタン魔法学園にはどこかに時を告げる鐘が存在していて、授業の始まりや終わりがその鐘の音によって知らされている。この世界には時計というものがないので、鐘の音が毎日同じ時刻に鳴っているのかは確かめようがないが、他に『時』というキーワードから思い浮かぶことはなかった。葵が示した可能性について、アルヴァは腕組みをしながら私見を述べる。

「可能性はあるかもね」

 アルヴァの反応が好感触だったため、興奮した葵ははしゃいでしまった。しかしふと、真顔に戻ってアルヴァを振り返る。

「でもアル、確か見たことないって言ってたよね?」

「残念ながら、ね」

「鐘がどこにあるのかも分からないんでしょ? どうやって探したらいいかな?」

 考えを巡らせているのか、アルヴァは閉口すると空を仰いだ。しばらく静止した後、アルヴァは嫌そうな表情を作りながら葵に目を向けてくる。

「ちょっと、出掛けてくる」

「何か心当たりがあった?」

「まあ、ね」

「私も一緒に行っていい?」

「それはダメだ」

 手掛かりがあると知って逸る気持ちが同行したいと口走らせたのだが、アルヴァに思いのほか強く拒絶されてしまったので葵は目を瞬かせた。それほど強く言うつもりはなかったのか、アルヴァは苦虫を噛み潰したような表情になりながら言葉を重ねる。

「ロバート=エーメリーに会ってくる」

 ロバートというのはアルヴァの旧友で、アステルダム分校の理事長を務めている青年だ。曲がりなりにも分校を預かる身であり、彼自身は本校の卒業生でもある。トリニスタン魔法学園のことはロバートに聞くのが手っ取り早いだろうとアルヴァが言うので、彼を苦手にしている葵はそういうことかと苦笑いを浮かべた。

「いってらっしゃい」

「すぐ話が聞けるかどうかは分からないから、報告は明日にするよ」

「うん。待ってるね」

 まだ渋い顔をしているアルヴァを笑顔で送り出すと、葵は一人きりになった保健室でため息をついた。葵が最後にロバートと会ったのは、キリルとウィルがデート権を賭けて勝負をした時である。ロバートに襲われそうになったところをアルヴァに助けてもらったのだが、彼らの雰囲気はかなり険悪なものだった。あの時以来、アルヴァもロバートに会っていないのだろう。アルヴァの眉間に刻まれていた深いシワが、それを表しているように思えた。

(アル、大丈夫かなぁ)

 アルヴァは頭も良いし、機転を利かせることも出来る優秀な人物だ。しかしロバートには、そんなアルヴァを出し抜く強かさがある。手玉に取られたりしないかと葵は心配だったのだが、そのうちに考えることを止めた。自分が心配したところでどうなるものでもないので、ここはアルヴァに任せるしかない。そう結論づけた葵は気分を切り替え、保健室を後にすることにした。

(私も聞き込みとか、やってみようかな)

 クローシュ・ガルデが管理しているのだという時の鐘は、トリニスタン魔法学園の生徒にも届けられている。本校に通っていたアルヴァでさえ知らないのなら分校の生徒からどれだけの情報を得られるか分からないが、とにかく自分に出来ることをやってみようと思った葵はアステルダム分校のマジスター達を探すことにした。






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