溝、深く

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 夏月かげつ期最初の月である、岩黄いわぎの月の三日。その日、自力で目を覚ますことが出来なかった宮島葵は同居人のクレア=ブルームフィールドに起こされて朝を迎えていた。

「学園に行くんやったらそろそろ起きなあかんけど、どないする?」

 すでにきっちりと身支度を整えているクレアに問いかけられて、まだ完全には覚醒しきれていない葵はのろのろと体を起こした。話しかけられたことに対応しようとするも、起き抜けの頭はまだ正常には働いてくれない。結局、少し間を置いてから葵は返事をした。

「行く……」

「なら、目ぇ覚ましぃや」

 葵が寝室として使用している部屋のカーテンを開けると、クレアはモーニングティーを淹れてくれた。温かな紅茶からはハーブの香りが漂ってきて、その芳香は爽やかだ。ティーカップ一杯を干す頃になると、葵はようやくクレアに苦笑を向けた。

「ありがと。ごめんね、寝起き悪くって」

「そないなことは気にせんでええ。昨夜は遅かったんやろ?」

「うん。なんか、話し込んじゃって」

 葵は昨日、王都にあるトリニスタン魔法学園の本校に出かけていた。そこで久しぶりに会う友人達と再会したため、ついつい話し込んで帰宅の時間が遅くなってしまったのだ。帰って来た時には顔を合わせなかったので、クレアはきっと眠っていたのだろう。その後、食堂に場所を移してから、葵は昨日の出来事をクレアに聞かせた。一通りの話が終わると、クレアは「なるほどなぁ」と呟いて食後の紅茶を口に運ぶ。

「ほんで、分校巡りをせなあかんわけか」

「うん。とりあえず、アステルダム分校から始めてみようと思うんだ」

 時の精霊を召喚するための魔法道具マジック・アイテムは分かたれており、トリニスタン魔法学園の各分校に眠っている。十六校あるのだという分校を全て巡らなければならないのだが、手始めにアステルダム分校を選んだのには理由があった。他の分校のことはまだ何も知らないのに対し、アステルダム分校だけは、具体的な情報をすでに得ていたからだ。封印の目星はついているのかとクレアに問われたため、葵は本校の友人であるステラ=カーティスから聞いた内容を明かした。するとクレアは、今日は直接マジスターの許へ行こうと言う。

 トリニスタン魔法学園アステルダム分校には大空の庭シエル・ガーデンという、マジスター専用の花園がある。この場所は一般の生徒が出入りすることを制限しているのだが、クレアはこのたび、シエル・ガーデンに転移出来る魔法陣を自分の魔法書に収めたらしい。そのため屋敷から直接行けるとのことだったので、まだネグリジェ姿だった葵は身支度を整えるべく、いったん私室に戻った。そこでいつもの、白いワイシャツにチェックのミニスカートという格好に着替えてから、屋敷の玄関前でクレアと合流する。転移の魔法によってシエル・ガーデンに移動すると、そこにはすでにマジスターの姿があった。

「キリル一人やなんて珍しいなぁ」

 クレアが声を掛けながら近付いて行ったのは漆黒の髪と同色の瞳を持つ、世界でも珍しい容貌をしている少年。キリル=エクランドという名の彼は、アステルダム分校のマジスターの一人である。クレアの後に続いてテーブルに着いた葵は、キリルの視線がこちらを向いたのを機に口を開いた。

「おはよう」

「おう」

 キリルに話しかけて、これほど自然に反応が返ってきたのは初めてではないだろうか。やはりまだ、彼に「おはよう」と言う自分も、それに対して普通に反応を返してくるキリルも、慣れていなくて不自然に感じてしまう。そう思った葵が後の反応に困っていると、その横でクレアが目を見開いていた。しかしそれは束の間の出来事で、すぐ真顔に戻ったクレアは何事もなかったかのように本題を口にする。

「アオイが頼みたいことがあるんやって」

 クレアが話を切り出してくれたため、葵は時の欠片についてキリルに説明を加えた。時の精霊のことには触れずに話を進めていったのだが、元々そういったことに関心の薄いキリルからは質問が返ってくることもない。キリルが一切の疑問を挟まなかったので、話はやたらとスムーズに進んで行った。

「それで、昨日ステラに会って聞いたんだけど、トゥムソルって花の所に大空の庭シエル・ガーデンの浮かし方が書いてあるんだって」

 ステラから聞いた話によれば、シエル・ガーデンが地を離れる時、この学園に封印されている時の欠片が姿を現すのだという。だが異世界からの来訪者である葵には、トゥムソルという花が分からなかった。なので、この花園の主であるマジスターの誰かに案内してもらおうと思っていたのだが、眉根を寄せたキリルは知らないと言う。マジスターの誰かに聞けばすぐに分かるとステラが言っていたこともあって、葵は想定外の反応に面食らった。

「えっ……知らないの?」

「花の名前なんかいちいち覚えてねーよ」

「他の連中は知っとるんか?」

「たぶん、知ってるんじゃねぇの?」

 アステルダム分校のマジスターは、キリルを含めて四人いる。その後、クレアとキリルが交わした会話から、封じられた時についてはマジスター全員が知っていることが判明した。彼らは封印の解き方についても何らかの情報を得ているらしいのだが、キリルは興味がなかったらしく、詳細を覚えていないと言う。埒が明かないと判断したようで、クレアはそこでキリルとの話を切り上げた。

「うち、他の誰か呼んでくるわ」

 葵とキリルには待っているよう言い置き、クレアは一人で姿を消した。だだっ広い花園でキリルと二人きりになると、途端に静寂が訪れる。それを気まずいと感じた葵は、何か話題がないかと頭を働かせた。そのうちに妙案を思いつき、スカートのポケットから携帯電話を取り出す。この暇な時間を異世界の勉強に使うことをキリルも了承したため、葵は携帯電話を片手に説明を始めた。






 葵とキリルをシエル・ガーデンに残して一人で移動したクレアは、とある貴族の屋敷を訪れていた。屋敷仕えの執事に案内されて足を踏み入れたのは青系統の色彩で統一された、この屋敷の主の私室だ。そこでは長い茶髪を無造作に束ねた少年が、窓辺で魔法書を片手に紅茶を飲んでいた。

「朝から悠長なことしとるなぁ」

 クレアが呆れながら声をかけた少年は、アステルダム分校のマジスターの一人であるオリヴァー=バベッジである。トリニスタン魔法学園の生徒の証はすでに予鈴を届けていて、一般の生徒達は続々と学園に登校している頃合いだ。それでもオリヴァーに急ぐ気がないのは、彼が学園のエリート集団の一員だからだ。マジスターは他の生徒のように教室で授業を受けることがないらしいので、他のマジスターも朝はこんなものなのだろう。

「何かあったのか?」

 クレアはつい先日、オリヴァーから私邸の魔法陣を教えてもらっていた。だからクレアが訪ねて来ること自体は何の不思議もないのだが、それが朝一番ともなると、オリヴァーも不審を抱いたようだった。怪訝そうに眉根を寄せているオリヴァーに向かって、クレアはまず、この場でしか口に出来ない疑問を問う。

「キリルから何か聞いとるか?」

「キルから?」

「キリルとアオイ、妙やった」

「変っていうのは、どんな風に?」

「フツーにアイサツしとったわ」

 それは一般的には極めて普通のことだが、キリルと葵の間柄においては決して普通のことではない。特に、あんなこと・・・・・があった後では、穏やかに接するのは普通の人でも難しいだろう。そうしたクレアの考えは伝わったようで、オリヴァーは「ああ……」と独白を零してから言葉を重ねる。

「話し合い、したみたいだぜ」

「内容も聞いたんか?」

「まあ、大体はな」

 葵からは話を聞いていないため、事実と異なる部分があるかもしれない。そう前置きしてから、オリヴァーはキリルから聞いた内容を教えてくれた。彼の話によるとキリルの誠意を汲んだ葵は、その誠意に応えるべく譲歩したのだという。

「一緒に異世界に行こうって、アオイに言われたらしいぜ」

 キリルが異世界に行くことについて、葵は否定的だった。その彼女が考えを変えたのなら、それなりの理由があるはずだとオリヴァーは言う。

「クレアがアオイに、何か言ったんだろう?」

「大したことは言うてへん」

「でもクレアの後押しがなかったら、アオイとキルはまだ気まずいままだったと思う。ありがとな」

「……その物分りが良すぎるところ、呆れるわ」

 自分だって葵を意識しているくせに、オリヴァーは恋敵とも言える友人の心配ばかりしている。彼の恋情が友情より強いものでないことは分かっているが、それにしても、馬鹿な程にお人好しだ。しかしクレアが呆れても、オリヴァーは朗らかに笑んで見せる。

「クレアだって似たようなものだろ?」

「そうでもないと思うで」

「ん?」

 細微な口調の変化を感じ取られたようで、オリヴァーに問いかけのまなざしを向けられた。自分は彼ほど無心ではない。そう胸中で答えたクレアは「何でもない」とだけ言葉にし、本題を口にするために話題を変えた。






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