溝、深く

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 夜空に岩黄色の二月が浮かぶ夜、雇い主であるユアン=S=フロックハートに召喚されたクレアは、彼と彼の家庭教師であるレイチェル=アロースミスが住んでいる屋敷を訪れていた。ユアンの許で使用人として働いているクレアにとって、この屋敷は職場である。しかし使用人の正装であるメイド服は着用して来なくていいと言われていたため、この呼び出しは仕事を意味するものではなく、私的なものだった。

 クレアの主であるユアンはまだ十三歳の少年で、時にクレアのことを普通の友人として扱うことがある。そのため仕事外での呼び出しもそう珍しいものではなかったのだが、今夜は勝手が違っていた。対面した主の横に、平素にはない人物の姿があったからだ。

「ごめんね、急に呼び出して」

 ユアンがすまなさそうな顔をして謝ってくるので、クレアは普段通りの口調で問題ないことを伝えた。そもそもユアンは主なのだから、使用人を召喚するのに謝ることなど何もない。それでもいつも、律儀に謝ってくるのだ。ユアンのそうしたところを、クレアはとても好ましく思っていた。

「それはええんやけど、用は何や?」

「うん、アルがね。クレアに話があるっていうから」

 珍しく歯切れの悪い調子で言って、ユアンが隣にいる人物を仰ぐ。胸中で「やっぱりなぁ」と呟きながら、クレアもその視線を辿った。二人分の視線を集めたアルヴァは無表情のまま、ゆっくりと口火を切る。

「呼び立てて悪かったね」

 ユアンと同じ科白を口にしてみても、アルヴァの口調にはどこか突き放すような響きがあった。冷ややかなその響きは、言葉と本心が裏腹なことを明らかにしている。ムッとしたクレアは不愉快を隠そうともせず、喧嘩腰で話に応じた。

「心にもないことなら言わんでええわ」

「突っかかってこないでくれ」

 ここへ来たのは不毛な言い争いをするためではない。健全な話し合いのためにはお互い冷静でいることが不可欠だと、アルヴァは眉一つ動かさずに言う。あまりにもギスギスした空気に耐えかねたようで、そこでユアンが容喙してきた。

「アル、僕も同席していい?」

「構わないけど、口は挟まないでくれ」

 無関係なはずのユアンにまで冷たい調子で言い置くと、アルヴァは再びクレアの方を向いた。ユアンに対する態度も気に入らなかったが、他でもないユアンに目で制されてしまったので、クレアは仕方なく椅子に腰を落ち着ける。深く息を吐いて気分を改めてから、クレアは真顔で口を開いた。

「話って何や?」

「ミヤジマに余計なことを言わないでもらいたいんだ」

「は?」

 アルヴァから話があると言われた時、クレアは十中八九葵のことだろうと予想していた。それは的中したわけだが、余計なことを言うなとは、なんとも無遠慮な発言だ。頭にきたため、クレアは露骨に顔を歪めた。

「余計なことって何や」

「ミヤジマに、キリル=エクランドの誠意を汲んでやって欲しいと言ったそうだね。その後、ミヤジマがどうしたか知ってる?」

「話し合い、したんやろ」

 葵から直接聞いたわけではないのだが、キリルから話を聞いたというオリヴァーがそう言っていた。二人で話し合った結果、葵はキリルのやろうとしていることを止めないと約束したらしい。アルヴァが問題視しているのもまさに、そのことのようだった。

「君がミヤジマに余計なことを言わなければ、彼女はそんな愚かな約束をせずに済んだんだ」

 先程からずっと憤りを堪えていたクレアは、アルヴァのこの一言で堪忍袋の緒が切れた。

「黙って聞いとれば、好き勝手なこと偉そうにぬかしよるなぁ! アオイはアオイなりに考えてキリルの誠意に報いよう思ったんや! キリルかて一生懸命アオイのこと想っとる! それを愚かやなんて、おたくにはそないなこと言う資格ないで!!」

 アルヴァが葵に好意を抱いていることは一目瞭然である。だが彼は真っ向から勝負しようとせず、裏で手を引いて好きな人を独占しようとしているのだ。そのやり方を、クレアは卑劣だと感じていた。今回のこともそうだ。キリルの行動を阻止したいのならこんなまどろっこしい牽制をせず、正々堂々闘えばいい。

「キリルが目障りなんやったら自分がアオイをモノにすればええやんか!」

「僕は、そんな話をしているんじゃないよ」

 クレアが興奮して捲くし立てても、アルヴァは冷静なままだった。抑揚のない口調で彼は言葉を重ねる。

「仮に、キリル=エクランドがミヤジマと共に異世界へ行ったとしよう。だがそこでも、キリル=エクランドはミヤジマの気持ちを得ることが出来なかった。そうなった時、彼はどうなる?」

「うまくいかないことが前提なんておかしいやないか」

「世界が変わったからって気持ちが変わるとは限らない。それに、一時は恋仲になったとしても終わりが来ないとも限らないんだよ」

 自分の身に置き換えて考えてみろとアルヴァが言うので、過去に『終わり』を経験しているクレアは返す言葉に詰まってしまった。反論がないことを受けて、アルヴァは淡々と言葉を重ねる。

「僕はミヤジマが召喚された当初から彼女を見てきている。ミヤジマには素晴らしい柔軟性と適応力があったけど、キリル=エクランドに彼女と同じことが出来るとは思えない」

 無理矢理に連れて来られた異世界においても、葵は自らの殻に閉じこもることなく積極的に人間関係を築いていった。それは意識を外へと向かわせることの出来る、彼女の適応能力の高さ故だ。対するキリルは、生まれ育った世界においても関わり合う人間を選ぶ。そんな彼が異世界において友人を作ることが出来るだろうか。他に誰もいなければ、キリルは何かにつけて葵を頼らざるを得ない。その比重は著しく偏っていて、やがては葵も息苦しくなってしまう。

「それは不幸だよ。ミヤジマにとっても、キリル=エクランドにとってもね」

 初めての恋に浮かされているキリルには、そこまで先のことを考えるのは難しいかもしれない。例え考えていたとしても、現実味は薄いだろう。だが現実味が薄かろうと考えが及ばなかろうと、結果的にそうなる可能性はかなり高いのだ。だから自分達はキリルの背を押すべきではない。最後にそう結んで、アルヴァは話を終わらせた。

「……冷静すぎてムカつくわ」

 言いたいことを言い終えたアルヴァが帰ってしまった後、室内はしばらく静寂に包まれていた。それを破ったのはクレアの独白で、その一言をキッカケに、それまで黙していたユアンも口を開く。

「自分も余裕ないくせに、余裕ぶって他人の心配してるところは確かに腹が立つよね」

「あれ、ほんまに本心なんか?」

「半分は、ってところじゃないかな。アルにとってキリルは友人の弟なわけだし」

「半分もアヤシイもんや」

 キリルの実兄であるハーヴェイが弟のことを心配するのなら、それは家族を想う純粋な気持ちだろう。だがアルヴァの場合、キリルは他人であると同時に目の上のたん瘤なのだ。不純な気持ちと純粋な気持ちがイーブンとは、とても思えなかった。だが、アルヴァの言っていたこと自体は正論である。

 椅子に背を預けて脱力すると、クレアは空を仰いだ。先程アルヴァに言われたことが、じわじわと胸を重くしていく。正直なところ、クレアは『うまくいかなかった場合』を考えていなかったのだ。より正確に言えば、先のことは考えすぎても仕方がないと想像すること自体を放棄していた。そんな不確かなことに縛られるより『今』の気持ちを優先したらいいと思って、キリルの背を押した。だが改めて可能性の話を聞かされてみると、うまくいかなかった場合のキリルの未来は悲壮感に溢れるものだった。

「無責任、やったんかなぁ」

 同じ世界にいる限りは、自分の発言に対して責任が持てる。だが世界の壁を隔ててしまえばクレアにはもう何も出来なくなってしまうのだ。慰めることも励ますことも出来ないのなら余計な口出しをするべきではなかったのかもしれない。そんな風にアルヴァの意見を肯定してしまったのが悔しくて、クレアは唇を引き結んだ。

「僕は、そうは思わないよ」

 ユアンが優しく語りかけてきたので、空を仰いでいたクレアは姿勢を正した。ユアンは穏やかな笑みを浮かべていて、柔らかな口調のまま言葉を続ける。

「クレアは他人を思い遣れる人だもの。今回のことだって誰かのためを思って行動したんでしょ?」

「……それは買い被りすぎやな」

 頑張っているキリルを応援したいから葵に意見した。そう言ってしまえば聞こえはいいが、そこにはクレア自身の感情も多分に含まれていた。ユアンの言うような、純粋な思い遣りではなかったのだ。

「うちはキリルにもアオイにも幸せになってもらいたいと思っとる。アオイに無理強いさせる気はあらへんけど、出来れば二人一緒に、や。せやけどそれは、うちの勝手な願望やな。秤にかけるつもりもなかったんやけど、アオイに負担かけてもうて申し訳ないわ」

「何言ってるの。そんなの、アルも一緒でしょ?」

 クレアと同じくアルヴァも、しょせんは当事者ではなく第三者。完全に無関係とは言い難いが、少なくとも葵への気持ちを秘している現状では当事者に分類することは出来ない。だが彼は、クレア以上に葵に干渉している。自分のことは棚に上げているのだからあまり真に受ける必要がないとユアンが言うので、アルヴァのパンチを食らってよろめいていたクレアは目を瞬かせた。

「せやな。確かに、その通りや」

「アルってほんと、そういうところは小賢しいよね。でも、レイみたいに完璧な器用ってわけじゃない。そういうところは可愛くて、僕は好きだな」

「何の話や」

 ユアンが何を言っているのかさっぱり分からなかったクレアは困惑気味に口を挟んだ。するとユアンは、説明を求められるのを待っていたかのように破顔して言葉を重ねる。

「本当に器用で小賢しい人なら、僕の所には来なかったってこと」

 そもそもクレアと話をするのに、アルヴァがユアンを通す必要はない。それなのに彼はクレアをここに呼び出して欲しいとユアンを頼って来たのである。そして話し合いの場に同席することも許した。これはつまり、フォローは任せたということだろう。

 本当は、アルヴァは優しい人なのだ。ユアンにそう言われて納得する部分もあっただけに、クレアは複雑な気持ちになった。クレアが反応を返せずにいると、アルヴァの話題を切り上げたユアンはクレアに向かって言葉を重ねる。

「誰かのためを思って何かをするのに余計なことなんてないんだよ。アルはアルで勝手にやってるんだから、クレアも好きにすればいい。応援するって決めたなら、そうしてあげればいいんだ」

 誰を、とは、ユアンは言わなかった。確実に気付いているはずだが、彼は茶化すこともなく背中を押してくれる。自分は幸せ者だと胸中で独白を零したクレアは、深謝を込めてユアンに頭を垂れた。






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