期待と不安、着々と

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 丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校には、大空の庭シエル・ガーデンと呼ばれる巨大な温室がある。この温室はドーム状の建造物なのだが全面ガラス張りになっているため、一見しただけでは平地に花園が広がっているようにしか見えない。しかし実状は、ごく一部の生徒のみにしか利用を許されていない、謂わば秘密の花園だった。その広大な花園の内部には花を愛でるためのスペースが設けられていて、染み一つない真っ白なテーブルセットが用意されている。今はそこに、三人の人物の姿があった。長い茶髪を無造作に結っている体格のいい少年は名をオリヴァー=バベッジといい、燃える炎のような赤い髪を持つ細身の少年はウィル=ヴィンスという。彼ら二人は、この学園のエリート集団であるマジスターの一員だ。そしてもう一人、花園の中には少女の姿があった。ワニに似た魔法生物を肩に乗せている彼女は、名をクレア=ブルームフィールドという。クレアはマジスターではないが、彼らと懇意にしているため、最近ではこうして茶席を共にすることも多くなっていた。

 クレア・オリヴァー・ウィルの三人は昨日、オリヴァーの父親が所有しているトリニスタン魔法学園ウォータールーフ分校へと足を運んだ。そのため今日の話題は、昨日の出来事で持ち切りだった。ウォータールーフ分校では目的を達したものの、謎として残されたままの出来事も多い。昨日は情報不足が否めなかったが、クレアはパートナーである魔法生物のマトから、オリヴァーは自家の英霊であるフィオレンティーナ=アヴォガドロから、それぞれに仔細な情報を得ていた。それをウィルに伝えていたのだが、彼はそっけなく「へぇ」とだけ言う。それは意外な反応で、クレアが首を傾げた。

「なんや、不機嫌やな?」

 未知の事柄に対して、ウィルは無関心な性質ではない。むしろ知識欲は旺盛な方で、未解決の問題を残したままの方がスッキリしないという性分だ。そんな彼が食いついてこないのは、それ以上に機嫌が良くないからだろう。クレアはそう感じたから問いかけたのだろうが、ウィルは別にと答えている。だがオリヴァーには心当たりがあったので、苦笑いを浮かべてしまった。それを見咎めて、ウィルがおもむろに不機嫌顔を作る。

「なに笑ってるの?」

「いや、別に」

「言いたいことがあるなら言えば?」

「オリヴァーに八つ当たりしても仕方ないやろ」

 ウィルの態度が刺々しかったからか、クレアが呆れながら仲裁に入った。するとウィルの目が、クレアの方を向く。真顔に戻った彼は一度閉口してから、表情を変えることなく再び口を開いた。

「言っていいの?」

「は?」

 ウィルから発せられた言葉は意外なもので、オリヴァーとクレアは同時に口を開けた。平素であれば、ウィルは遠まわしに嫌味を重ねてくる。そして核心をうやむやにしてしまうことが多いのに、今日の彼は胸の内を率直に打ち明けるというのだ。驚いてしまった二人が反応を返せずにいると、ウィルは再び不機嫌な顔になって言葉を続けた。

「何? 言えって言ったくせに聞かないつもり?」

「いや、そんなことは言ってないだろ」

 言いたいことがあるのなら自分達を気にすることなく、好きに言えばいい。オリヴァーがそう言って宥めると、ウィルは遠慮なく本心を口にした。

「前から好きじゃなかったけど最近本当に、あの人が気に入らない」

 ウィルの言う『あの人』とは、十中八九アルヴァのことだろう。彼がアルヴァを快く思っていなかったことは、オリヴァーもクレアも知っている。しかしウィルは、今まで思っていても直接的に言うことはしなかった。それをしてしまう今日の彼は、何かがおかしい。そう感じたのはオリヴァーだけではないようで、クレアが困惑気味にウィルに声をかけている。

「ウィル、どないしたんや?」

「どうもしないよ。言いたいことがあるなら言えって言うから、思ってることを言っただけ」

「それがおかしいんやないか。ウィルはそんな性格ちゃうやろ」

「そんな性格って、何?」

「いつもやったら思っとることがあっても、何考えとるんか分からん顔でニヤッて笑っとるんがウィルや」

 クレアの言い様があんまりなものだったので、オリヴァーは吹き出してしまった。言われた当人は嫌そうな表情をしているものの、自覚があるのか反論は口にしていない。出来るだけウィルの神経を逆撫でしないよう努めて笑った後、オリヴァーは表情を改めた。

「クレアの言い方はどうかと思うけど、俺も何か変だって感じるくらいにはいつもと違うと思うぜ?」

「……目の前で思い切り笑っておいて、よくそんなことが言えるよね」

「あ、いつものウィルや」

 クレアがどこかホッとしたような独白を零したことで、ウィルはまた嫌そうに眉根を寄せる。だがクレアと同じことを思ったオリヴァーも表情を緩め、話を続けた。

「何かあったのなら話くらい聞くぜ?」

「別に何もないよ。ただ、黙っていても得することはあまりないんだなって、思っただけ」

 真顔に戻って応えたウィルに、そう言わせるだけの何かがあったのは確かだろう。それはきっと彼が失恋したことと無関係ではなく、オリヴァーはそれ以上の追及をしないことに決めた。クレアも同じことを思ったのか、口を噤んでいる。そんな彼女に、ウィルが目を向けた。

「クレアこそ、言いたいことはハッキリ言ったら? 何か我慢してるように見えるけど、その方がずっとらしくないよ」

 ウィルが口にした内容は、オリヴァーも感じていた異変だった。こちらも何かがあったようで、クレアはフッと乾いた笑みを浮かべる。

「うちなぁ、少し自重することにしたんよ。せやけどやっぱり、アルには腹立つわ」

 何をどう自重しているのか分からないが、拳を握りしめたクレアはするっと本音を口にした。何も自重していないだろうというウィルのツッコミを聞いて、オリヴァーは苦笑いを零す。要するにこの二人は、傍から見ている者にも気持ちが明白であるにも関わらず、アルヴァが煮え切らない態度を取っているのが気にくわないのだろう。

「アオイはアルヴァさんのこと、どう思ってるんだろうな?」

 話の流れで、オリヴァーは何気なく疑問を口にしてみた。するとこの疑問には、すぐに答えが返ってくる。『どーもこーもない』というのが、葵と一緒に暮らしているクレアの見解だ。何か思うところがあるようで、ウィルも話に加わってくる。

「前にアオイに聞いたんだけど、男としてはまったく意識してないみたいだったよ」

「見たまんまやな」

「つまり、アルヴァさんの方から動かない限りは現状維持、と」

 そしてアルヴァには、動くつもりがない。だからこそウィルとクレアは苛立っているのだろうが、それは第三者にはどうしようもないことだ。

「ところで、アオイは今日どうしてるんだ?」

 行き詰まりしか見えない話題を変えるために、オリヴァーはこの場にいない者のことを尋ねてみた。クレアから返って来た答えはアルヴァと共に王城の研究室へ行っているというもので、疑問を抱いたオリヴァーは首を傾げる。

「クレアは一緒に行かなかったんだな」

「ウカツに着いて行くと、またフェアレディとお茶会なんて流れになるかもしれへんからな」

 フェアレディというのはこの国の王女のことで、クレアとオリヴァーは共に、ロイヤルファミリーの茶会に参加したことがある。あの場の強烈すぎる緊張感は、どうにも耐えられない。クレアがそう言っているのを聞いて、オリヴァーは密かに同意を示した。ウィルは茶会に参加していなかったので、そんなことがあったのかと相槌を打っている。しばらくそうした話を続けていると、やがてシエル・ガーデンに来訪者があった。ゆっくりとした歩みでこちらへ向かって来るのは、栗色の髪の少年。彼はこの学園のマジスターの一人である、ハル=ヒューイットだ。

「なんや、えらい久しぶりにうた気ぃするなぁ」

 ハルの顔を見るなり感想を述べたのはクレアだったが、それはオリヴァーとウィルにとっても同じことだった。気怠げに椅子に腰かけたハルは、マイペースに欠伸を零す。その様子を見て誰もが、相変わらずだと思った。

「パーティーの夜以来か?」

 オリヴァーが口にしたパーティーとは、迎夏の儀式の後に王城で行われた盛大な親睦会のことだ。あの夜以来会っていないとすれば七日ぶりに顔を合わせたことになるが、ハルは「そうだっけ?」と首を傾げる。もともと集合をかけて集まっているのではない彼らに感慨は薄く、ハルの視線はすぐにオリヴァーから外れた。

「そういえば、うちに来たんだって?」

 ハルが話しかけた相手はウィルだった。何のことを言っているのかはすぐに伝わったようで、ウィルは頷いてから口を開く。

「ハルが見つからなかったから、フレデリカさんに協力してもらったよ」

「うん。楽しかったって言ってた」

「僕も貴重な経験させてもらったから、別にいいんだけどね。ハルはどこで何してたの?」

 ウィルからの問いかけに、ハルは少し間を置いてから答えた。考え事をしていたのだと聞いて、おそらくはその場にいた全員が同じ感想を抱いたことだろう。考え事をするのに何故、何日も所在不明になるのか、と。

「まあ、元気そうだから良かったぜ」

 質問を重ねたところで、ハルがまともに答えるかどうかは分からない。そう思ったのはクレアもウィルも同じなようで、オリヴァーの一言で、その話題は終わりとなった。






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