Crazy for you

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 東のゼロ大陸を治めるスレイバル王国は王都を除き、その広大な領土を貴族達が分割して管理している。貴族が治める地は公国と呼ばれており、その一つであるアステルダム公国は王国領土の中程に位置していた。そしてアステルダム公国のスタッカード地方と呼ばれる所には、ある特別な事情を有した貴族の別邸がある。朝の時分、その邸宅の食堂には三人の男女の姿があった。この屋敷の主が座るべき場所にいるのは、金髪に紫色の瞳といった容貌が目を引く愛らしい少年。彼は名を、ユアン=S=フロックハートという。ユアンの傍らには給仕をしている金髪の女性がいて、縁のないメガネが理知的な印象を醸し出している彼女は名をレイチェル=アロースミスといった。レイチェルはユアンの家庭教師であり、この屋敷で寝食を共にしている。そしてこの場にはもう一人、客人として朝食に招かれた金髪の青年の姿があった。レイチェルとよく似た面立ちをしている彼は、名をアルヴァ=アロースミスという。

「訊きたいことがあるんだが」

 食後の紅茶が出されたところで、アルヴァはユアンに目を向けて口火を切った。手にしていたティーカップをソーサーに戻したユアンは、平素と変わらぬ調子で「何?」と問いかけてくる。そのためアルヴァも、すぐに言葉を続けた。

「ミヤジマに一体、何を言ったんだ?」

「何、って?」

 どういう意味かと問い返して、ユアンは小首を傾げる。本当に話が通じていないようだったので、アルヴァは説明を加えることにした。

「昨日、ミヤジマと話をした。彼女は生まれ育った世界に帰るかどうかについて、悩んでいると言っていた」

 ミヤジマ=アオイという少女とアルヴァの付き合いは、彼女がこちらの世界に召喚されてからすぐに始まった。だからアルヴァは、彼女が生まれ育った世界に帰りたいと切望していたことを誰よりもよく知っている。その彼女が、生まれ育った世界を捨てることまで考えに入れているというのだ。この性急な変化は、葵に乞われてユアンの元を訪れたことと無関係ではないだろう。そう感じたから尋ねているのだと明かすと、ユアンは困ったような表情を浮かべた。

「アオイ、そんなに悩んでた?」

「心情的な比重は五十パーセントだと言っていた」

「そっか。五分五分イーブンになるくらいこの世界に愛着を持ってくれたのは嬉しいけど、素直には喜べないね」

「彼女はずっと、生まれ育った世界に帰りたがっていた。それを、そこまで考えを変えさせるなんて……一体、何を言ったんだ」

「前に話した通りだよ。対策室の存在を教えて、少し僕の希望を言っただけ」

「その、希望というのは?」

「ん〜、言わなきゃダメ?」

 アルヴァが駄目だと即答すると、ユアンはあっさりと『希望』を口にした。ユアンが何故渋っていたのかは分からないが、その内容を聞いたアルヴァは眩暈を感じてこめかみに指を押し当てる。胸裏は、それまで黙って話を聞いていたレイチェルが代弁してくれた。

「ユアン様、それではまるで愛の告白です」

 その感想は、ユアンの科白を聞いた誰もが抱くものだろう。彼は葵に危ないことはやめにして、ずっと自分の隣にいて欲しいと言ってのけたのだから。

「否定出来ないから、そう受け取ってくれてもいいんだよ?」

「その発言はさすがに、控えた方がよろしいものかと。わたくしからフェアレディに情報漏えいがないとも限りませんし」

「……ゴメンナサイ」

 レイチェルが話題に上らせたフェアレディとは、この国の王女のことである。さすがに婚約者のことを持ち出されると弱いもので、軽口を叩いていたユアンはレイチェルに白旗を挙げている。いつも通りのやり取りが終わるのを待ってから、アルヴァは再び口を開いた。

「君がミヤジマの悩みを深くしてどうする」

「僕のことで悩んでくれているなら嬉しいけど、それは違うと思うよ?」

 ユアンが自分でも認めている通り、葵の悩みで重きを成しているのは彼のことではないのだろう。それでも軽率すぎるとアルヴァが咎めると、ユアンは少し寂しそうな笑みを浮かべた。

「本心なんだから仕方ないんだよ。今回ばかりは僕も、助けになってあげられないしね」

 ユアンはこの世界の調和を保つ役割を世界から与えられた者で、人間界モンド・ゥマンの王と呼ばれる特別な存在である。その彼が力になれないということは、葵は誰の助けも借りられないということだ。さすがに人王としての言葉には重みがあって、改めて葵の孤独を思い知らされたアルヴァは閉口した。

 ミヤジマ=アオイは不運にも異世界から召喚されてしまった、何の力もない少女だ。彼女は何も悪くないのに、自身の望みを優先するべきか、この世界の安寧を取るべきかという、極めて重大な決断を迫られている。加えて、誰の佑けも得られないというのでは、あまりにも救いがない。


――私、帰らない方がいいかな?


 昨晩、葵から発せられた弱々しい問いかけが蘇った。孤独に思考を続けている彼女は、一体どんな想いでその一言を放ったのだろう。

(どう、答えるべきだったのか)

 葵から尋ねられた時、アルヴァは明確な答えを示せなかった。自分自身の迷いもあったが、それ以上に、他人への問いかけの形をとった自問のように感じられたからだ。あの時、葵はどのような言葉を欲していたのだろう。胸に秘めている想いを吐露すれば、彼女は傍にいてくれるのだろうか。

「アルはさ、アオイがこの世界に残ってくれたらどうするつもりなの?」

 ユアンが心を読んだようなタイミングで言葉を紡いだので、思考に沈んでいたアルヴァはギクリとした。何も言えないまま、アルヴァはぎこちない動作でユアンを見る。瞳に映した彼の顔にからかいの色はなく、逃げ道を塞がれたように感じたアルヴァは言葉を発することが出来なかった。そのうちに、答えあぐねていることを察したユアンが再び口を開く。

「最終的にどうするのかはアルの自由だけど。アルの幸せを願っている身としては、もうちょっと積極的になってほしいよ。ね、レイ?」

「わたくしに同意を求められても困りますが、機は熟す前でも行動を起こすことが必要となる場合もあるかと思います」

「それって結局、押せ押せでいけってことじゃない?」

「何事も、タイミングは察するべきかと」

「うん、タイミングは確かに重要だよね」

 そこで会話を切り上げると、閉口したユアンとレイチェルはアルヴァに視線を向けてきた。ユアンはもともと積極的に行動しろと言っていたが、明言を避けているレイチェルも考えは同じようなものなのだろう。二人分の圧力を受けたアルヴァは途方に暮れるような思いで、空を仰いだ。

 ミヤジマ=アオイという少女のことに対して、アルヴァは今までにも度々、複数の人物から言動の是非を問われたことがある。その大半は葵への好意を自覚しながら関係性を変えようとしないアルヴァへの非難ばかりだった。卑怯者と罵られながらも態度を変えなかったのは、葵がいつかは生まれ育った世界に帰るという前提があったからだ。葵がこの世界に残留するというのなら、状況は一変してしまう。


――いつまでもそうしているわけにはいかないだろう?


 ふと思い出したのは、以前に旧友であるハーヴェイ=エクランドに言われた言葉だった。彼は嫌われるのが怖いから何もしないと言ったアルヴァに対して、二つの可能性を暗示した。アルヴァが想いを告げなければ葵はやがて、別の誰かと恋に落ちる。そうして奪われるのが先か、帰還という形でいなくなってしまうのが先か。この話をした時は二択だったのだが、葵が帰還を諦めるというのなら前者の一択になってしまう。このまま何もしないでそうした結末を迎えた時、果たして自分は耐えられるのだろうか。

(無理だ)

 そんな場面に直面する日が来たら、耐えられないことは目に見えている。だが同時に、葵が誰かのものになるという想像も出来なかった。帰還か残留かで悩んでいる今の彼女には、余裕がない。それにまだ残留が確定したわけではないのだから、焦って行動を起こすのは危険すぎる。

「タイミングの話をするのなら、僕はすでに大きく逸してしまっていると思うよ」

 とっさに頭をよぎった数々の考えはひとまず封じて、アルヴァはため息まじりに言葉を紡いだ。話題を変えたわけではなく、これも本心である。もっと早く、彼女の魅力に気づいていれば。もっと早く、自分の気持ちを自覚していれば。自分のこれまでの言動を顧みると、そう思う場面は多々ある。この上、気持ちを自覚してからの言動まで悔いていたら、それこそキリがない。アルヴァがそう言うとユアンはあからさまな落胆の息をついたが、レイチェルは何も言わなかった。






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