言えない言葉

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「おかえり、アオイ」

 葵が同居人のクレアと暮らしている屋敷で気さくに出迎えてくれたのは、この家の住人ではない少年だった。長い茶髪を無造作に束ねている彼の名は、オリヴァー=バベッジという。互いに知らぬ間柄ではないが、そのシチュエーションの異常さに、葵は眉をひそめて口を開いた。

「どうしたの?」

「無断で入ったわけじゃないから、そんな怪訝そうな顔するなって」

 苦笑を浮かべたオリヴァーは食堂の方を指差し、そこにクレアがいるのだと教えてくれた。どうやら彼女は料理中のようで、手が離せないクレアに代わってオリヴァーが葵の出迎えに来たということらしい。

「クレアが夕食を作ってくれるって言うんで、ご相伴にあずかりに来たわけだ」

「あ、そうなんだ?」

 オリヴァーがここにいることに納得がいったところで、葵は改めて先程の言葉に応えた。だがオリヴァーに向かって「ただいま」と言うのはやはり違和感があって、葵は苦笑いを浮かべる。

「変なの」

「俺は新鮮でいいと思うぜ」

 オリヴァーがにこやかに言うので、彼の笑顔につられた葵も笑みを浮かべた。会話が一段落したところで、葵とオリヴァーはどちらからともなく歩を進める。クレアがいるという食堂に向かいながら、葵は言葉を重ねた。

「最近、クレアと仲いいよね」

「そうだな、一緒にいることが多いかもな」

 だからどうだという話にはならず、その話題はそこで終わった。クレアもオリヴァーも頼られる者同士、気が合うのだろう。

「アオイは学園に行ってたのか?」

 クレアとオリヴァーをいいコンビだなどと考えていた葵は、話題が自身のことに及んだのを機に真顔に戻った。歯切れの悪い返答をすると、オリヴァーは首を傾げながら話を続ける。

「学園の制服を着てるの、珍しいよな?」

「ああ、これは……」

 葵は普段、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブは滅多に着用しない。だからそれを着込んでいる姿をオリヴァーが不審に思うのは、当然の成り行きだった。言葉を濁している間に言い訳を考えたが、下手な嘘はどうせすぐにバレる。それならばと、観念した葵はエッソー分校に赴いたことを明かした。

「エッソーか……。それで、封印は解けたのか?」

「え? えっと、ダメだった」

「駄目だった? また精霊でも出て来たのか?」

「そんなこともなかったけど……」

「ハルと一緒に行ったんだろ? それでも駄目だったなんて、そうとう強力な封印なんだな」

 深刻そうな表情で助力を申し出てくれたオリヴァーの一言で、彼の態度を不思議に感じていた葵は納得した。エッソー分校に行ったことを明かしてもオリヴァーが怪訝そうにしなかったのは、話が噛み合っていなかったからだ。改めて単独でエッソー分校に行ったことを告げると、オリヴァーは今度こそ眉をひそめる。しかしちょうど目的地に到着したため、会話は一時中断となった。食堂ではクレアがテーブルに料理を並べていて、気まずい空気を纏って現れた葵とオリヴァーを見るなり、彼女は怪訝そうな表情になる。

「なんや、この重苦しい空気は?」

「あ〜、ちょっとな」

 そう答えただけで、オリヴァーはその話題を終わらせた。平素の気軽さを取り戻した彼はテーブルに並んでいる料理に近付いて行き、その出来栄えを褒め称えている。クレアもオリヴァーに合わせていて、先程の話題を蒸し返す気はなさそうだ。彼らはいつもそうで、都合の悪いことには無言で目を瞑ってくれる。その優しさが今は痛くて、葵はひどく居たたまれない気持ちになった。

「あのさ、」

 葵が言葉を発すると、クレアとオリヴァーの視線は彼女に向けられた。短く息を吐いた後、意を決した葵は言葉を重ねる。

「二人に相談してもいい?」

「なんや、いまさら」

 そんなに改まらなくても、相談くらいいくらでも乗ってやる。姉御気質なクレアが笑顔でそう言ってくれたので、少し緊張していた葵はホッとした。意外そうに目を瞬かせながら、オリヴァーも頷いてくれる。

「アオイにそんなこと言われたの、初めてだな」

 オリヴァーの驚き方が大袈裟だったので、葵はそうだっただろうかと記憶を辿った。彼にはこれまでにも色々と助けてもらっているが、確かに、面と向かって相談があるなどと言ったのは今回が初めてかもしれない。そのせいか、オリヴァーはやたらと深刻そうな表情を作った。

「俺で力になれることならいいんだけどな」

「とりあえず食事にしようや」

 スープが冷めてしまうとクレアが促したため、三人は食事をしながら話を続けることにした。それぞれがテーブルに着くと、クレアが率先して口を開く。

「それで、や。相談っちゅーのは、さっきおたくらが妙な雰囲気で食堂に入って来たことと関係あるん?」

「ああ……うん」

 先程は会話が途切れたところで食堂に辿り着いたので、タイミングが悪かったと言ってしまえばそれまでのことだ。しかし葵とオリヴァーの口を塞いだのは、この『相談』の根幹に関わることである。葵はまず、今日一人でエッソー分校に赴いたことをクレアにも明かした。するとクレアも、オリヴァーと同様に眉をひそめる。

「うちにでもオリヴァーにでも、言うてくれたら良かったやん。何で一人で行ったん?」

「クレアは仕事だったから、ジャマしちゃ悪いと思って。オリヴァーには……その、ちょっと言い辛かったから」

「……俺に言い辛かった理由、訊いてもいいんだよな?」

「うん……。オリヴァーにっていうか、ハルに……」

 時の欠片を集めていることを、知られたくなかった。言葉の後半は胸中で呟くに留まってしまったが、オリヴァーとクレアには伝わったようだった。二人で顔を見合わせた後、クレアとオリヴァーは改めて葵を見る。

「ハルに言いたくなかったのは何でなんだ?」

「だって時の欠片を集めてるってことは、元の世界に帰る準備をしてるってことになるじゃない?」

「あ〜……ああ。アオイが言いたいこと、なんとなく分かったわ」

 クレアが得心した様子で頷いたので、オリヴァーの視線は彼女の方に向いた。説明を求められたクレアは葵を一瞥してから、言葉を続ける。

「つまり、あれやろ? 元の世界に帰るかどうかについて、ハルと話してないっちゅーことやな?」

「……うん」

 葵が目を伏せて頷くと、しばし沈黙が流れた。その間に、彼らが何を思ったのかは分からない。葵は呆れられるかもしれないと身構えていたのだが、クレアとオリヴァーにそのような様子はなかった。至って真面目に、彼らは話を続ける。

「ハルはどうするつもりなんやろな? そういう話、聞いてへんの?」

「さあなぁ。長い付き合いだけど、ハルの考えてることはイマイチよく分からない」

 オリヴァーが苦笑して見せたので、葵とクレアも同意の苦笑いを浮かべた。子供の頃からの友人であるオリヴァーにこう言われるようでは、ここ一年ほどの付き合いである葵やクレアには憶測を述べる余地もない。しかし話はそこで終わらず、真顔に戻ったオリヴァーは「ただ、」と付け加えた。

「アオイが異世界人だっていうのを知ってて付き合うことにしたんだから、何も考えてないわけないと思うんだよな。キルがアオイと一緒に異世界に行こうとしてたっていうのも知ってるわけだし」

「ほんならハルも、アオイに着いて行くっちゅー心を固めとるわけか?」

「それは分からない。もしかしたら、アオイにこの世界に残って欲しいと思ってるかもしれないからな」

 葵にとっての異世界であるこの世界で共に生きていくか、ハルにとっての異世界である葵が生まれ育った世界に一緒に行くか。二人でいられる選択肢は、この二つしか存在しない。そしていずれの選択肢も、どちらかが多大な犠牲を払う必要がある。葵とハルが直面している現実の厳しさを改めて認識したのか、オリヴァーとクレアは共に口を閉ざした。しかし沈黙は長く続かず、やがてオリヴァーが再び口を開く。

「アオイはどうしたいんだ?」

「私は……まだ、決められてなくて……」

 オリヴァーには明かしていないが、葵が元の世界に帰るためには現在いる世界の人間達を危機に晒す必要がある。そこまでのことをしてでも生まれ育った世界に帰るべきなのか、まだ悩み中だ。しかしいつかは、この難問にも答えを出さなければならない。その期限として葵が定めたのが、時の精霊を召喚するマジック・アイテムを完成させることだった。

「時の欠片が全部集まるまでには決めなきゃって思ってる。だから分校巡りはしようと思うの。自分の気持ちがはっきりしたらハルともちゃんと話すから、それまでは内緒にしててくれない?」

「ハルに言わへんのは、別に構わんけどな。それやったらアオイは、今後も一人で分校巡りする気なん?」

「それは……」

 クレアに指摘されるまでもなく、それが不可能に近いことは葵にも解っていた。誰かの助力を乞わなければならないのなら、考えるべきは誰に協力してもらうかということだ。アルヴァがいれば話が早かったのだが、あいにく彼は療養中である。そうなるとやはり、頼れるのは目の前の二人以外いないように思われた。

「ハルに内緒で協力してくれたりしない?」

「それはダメだ」

「それはあかん」

 オリヴァーとクレアの回答は同じもので、反応速度も示し合わせたように同じだった。自分でも虫がいいことを言っていると思っていた葵は、即座の否定に身を縮ませる。そんな葵を真っ直ぐに見据えながら、クレアとオリヴァーはそれぞれに言葉の続きを口にした。

「わざわざ自分で火種を生むような真似せんでええ」

「同感。まだ心が決まってないなら、それをハルに伝えればいいと思うぜ」

 クレアとオリヴァーが一様に言っていたのは、余計なことはするなということだった。この二人が言うからこその説得力もあり、自分の姑息な思考を恥じた葵は太腿の上に置いた手をきつく握りしめる。

「そう……だよね。やっぱり、隠すのは良くないよね」

「せや。言い辛いんは分かるけどなぁ、ここは勇気を出さなあかん」

「……うん。ありがとう、二人とも」

 今の気持ちをハルに伝えて、彼がどのような反応を示すのかは分からない。長年の友人であるオリヴァーも言っていたように、感情を面に表すことの少ないハルは考えていることが読めないのだ。だが結論を出さなくてはならない時は、必ず訪れる。少しでも先延ばしにしたくて足掻いていたが、それは誤った考え方だと教えられた。正しい方向へと背中を押してくれた二人を見つめながら、ハルには明日胸の内を明かそうと、葵は心を決めた。






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