etc.ロマンス 番外編 10 years later

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「で、ここはどこなんだ」

 長くなった再会の挨拶が終わったところで、キリルは目を覚ました時から感じていた疑問を口にした。その答えは「俺の家」というもので、驚いたキリルは改めて周囲を見回してみる。

「バスルームより狭いじゃねーか」

「これでも、この世界では広い方だと思う」

「マジか」

 狭いなりによく考えられた設計だとハルは言っていたが、キリルにはどうしても快適なようには見えなかった。十年前、物事が別の方向に動いていたら、今ここにいるのはキリル自身だったかもしれない。そう考えれば、ハルを少し尊敬したくなった。難なくと言っていいのかは分からないが、彼はこの環境に適応しているように見える。自分だったら、どうだっただろう。試しに想像しようとしてみても、キリルには明るい未来がまるで見えてこなかった。

「あ、」

 突然声を上げたかと思うと、立ち上がったハルは机が置いてある場所に移動した。そこから持って来た物を、ハルはキリルに差し出して見せる。

「これ、キルのでしょ?」

 そう言ってハルが渡してきたのは携帯電話と魔法書だった。それらを受け取ってから、キリルは改めてハルを見る。

「何でオレはハルの家にいるんだ?」

「それは……」

 ハルが何かを言いかけたところで扉をノックする音が聞こえてきた。続いて、扉の向こう側から声が聞こえてくる。

「ハル、そろそろいい?」

 女性の声での問いかけに、ハルは行動でもって応えた。彼が扉を開けると、そこに立っていた人物の姿が露わになる。白いワイシャツにチェックのミニスカートという出で立ちだが、アオイではなかった。見知らぬ人物の登場に、キリルは眉根を寄せてハルを見る。

「誰だ?」

「アオイの友達のヤヤ」

 簡潔に少女を紹介すると、ハルはそれきり口をつぐんでしまった。代わりにヤヤという名前であることが知れた少女が、キリルに向かって口を開く。

「すみませんでした」

 そう言うと、ヤヤは深々と頭を下げた。初対面の少女に謝られる覚えのなかったキリルは眉間の皺を深くし、ハルに視線を移す。目が合うと、ハルは無表情のまま言葉を紡いだ。

「ヤヤがキルを蹴って、倒れたキルが頭打って気絶したんだって」

 ハルの説明は単純明快ではあったが、その時の記憶がないキリルには首を傾げることしか出来なかった。ヤヤに目を戻すと、頭を上げた彼女はすまなさそうな表情で当時の状況を語り出す。その説明によると、いきなり窓から侵入して来てアオイに迫ったキリルを、ヤヤは不審者だと思ったらしい。友人を救うべく行動を起こした彼女はキリルに背後から足払いを仕掛け、それにより態勢を崩したキリルは後頭部を強打して意識を失ったようだ。

「なるほどな」

 どうりで頭が痛むはずだと、得心したキリルは独白を零した。その反応に再び顔を歪めてから、ヤヤは話を続ける。

「そしたら、葵があなたのことを知り合いかもって言い出して。それでハルを呼んで、ここまで連れて来てもらったんです」

 早とちりだったと、ヤヤはもう一度頭を下げた。その後、キリルの傍へやって来た彼女は必要以上に体を強張らせながら言葉を続ける。

「殴ってもらって構いません。鍛えてますから、大丈夫です」

「はあ?」

 それまで大人しく説明を聞いていたキリルは、ヤヤが妙なことを言い出したため反射的に身を引いた。つい先程、ハルと同じような問答をしたのは気のせいだろうか。相手が変わっても同じことになるのは、誰かが入れ知恵をしたからに違いない。そう察したキリルは素知らぬ顔で佇んでいるハルを睨み付けた。

「お前、なんか妙なこと言っただろ」

「あれ、殴らないの?」

「だから、殴らねーって言ってんだろ!」

「変わったね、キル」

 昔のキリルならば相手が女子であろうと問答無用で殴っていた。ハルにそう言われてしまえば、身に覚えのあったキリルには黙り込むより他ない。彼の感覚は本当に十年前のままなのだと、改めて実感したキリルは短く嘆息した。

 会話の途絶えた静かな室内に突然、何かの音が鳴り響いた。その出所はハルのようで、ポケットから携帯電話を取り出した彼は誰かとの会話を開始する。ハルの意識がそちらに向いたのを機に、キリルはヤヤに話しかけた。

「あいつに何か言われたんでしょうけど、殴ったりしませんから。身構えないで下さい」

「あ、そうなんですか」

 安堵したというよりもアテが外れたような顔で、ヤヤは困惑気味に返事を寄越してきた。そもそも、謝意を示すために殴られるなど女性の発想ではない。そのことをキリルがたしなめると、ヤヤは意外そうな顔つきになった。

「優しいんですね」

「優しい?」

 自分に向けられた言葉としては、生まれて初めて聞いたのではないだろうか。それはかなり意にそぐわないもので、キリルは難しい表情になってしまった。ただ感じたままを述べただけのようで、ヤヤもそれきり黙ってしまう。目の前の少女がよく分からなくて、キリルは首をひねった。

「キル、アオイが話したいって」

 誰かと会話をしていたハルが、携帯電話を差し出してきた。どうやら彼は、この携帯電話を使ってアオイと話をしていたらしい。すでに使い方は知っていたため、キリルは受け取った携帯電話を耳に当てる。すると向こう側から、懐かしい声が聞こえてきた。

『もしもし? キリル?』

 呼びかけに頷いて、キリルは言葉の続きを待つ。しかし待ってみても、アオイはなかなか次の言葉を発さなかった。キリルが首を傾げていると、話が進んでいない様子を見て取ったらしいハルが声をかけてくる。

「キル、何か言わないと伝わらない」

「あ?」

 言われていることを理解出来ず、キリルは声を発しながらハルを見た。それでキリルが携帯電話を持っていることが伝わったようで、アオイが再び言葉を紡ぐ。

『えっと、聞こえてるんだよね? お願い、キリル。弥也のこと殴らないで』

 殴りたいなら自分を殴って欲しいと、耳を疑うような科白が携帯電話から発せられた。ここでもかと思ったキリルは眩暈を覚え、怒鳴る気力すら失って息を吐く。

「もうその話はいい」

『もしかして、もう……?』

「殴ってねーから」

 投げやりに言い放って、キリルは携帯電話をハルに返した。その後は一言二言会話をして、ハルはアオイとの話を終わらせたようだ。再び沈黙が訪れたところで、ヤヤが静かに立ち上がった。

「じゃあ、あたしはこれで」

 最後にもう一度キリルに謝罪をしてから、踵を返したヤヤは姿を消した。扉が閉まる音を二度ほど聞いてから、キリルは改めてハルを見る。

「アオイはここにいないんだな?」

「六時くらいまでいたけど、今はいない」

 ハルの口から『ロクジ』という謎の単語が飛び出したので、キリルは眉根を寄せて説明を求めた。どうやら『ロクジ』というのは時間の単位のことで、夕方くらいまでアオイはここにいた、とハルは言ったらしい。その後はあまり遅くなると危ないからという理由で、家に帰したのだそうだ。この世界はあまり治安が良くないらしいと聞かされたところで、あることが気になったキリルは容喙する。

「彼女は一人で帰らせて大丈夫なのか?」

「ヤヤ? それなら、平気」

 強いからと、ハルはまったく問題なさげに断言した。この世界で言うところの『強い』の基準など、キリルには分からない。だが一蹴りで昏倒させられた記憶がまったくないあたり、ハルの発言は誇張というわけでもなさそうに思えた。見た目は普通の少女だったのに、人間とは分からないものだ。

「キルはアオイに会いに来たの?」

「ちげーよ」

 ヤヤが去って行った扉をぼんやりと眺めていたキリルは、半ば条件反射的にハルの問いかけを否定した。しかし実のところ、それは間違っていない。一度は否定してしまった手前、少しばつが悪くなりながら、キリルはようやく本来の目的をハルに明かすことになった。





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