etc.ロマンス 番外編 10 years later

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 異世界からの客人であるヤヤという少女を受け入れてから数日、キリルはその日もエクランドの所有する別邸に足を運んでいた。この客人が来てからというもの、この屋敷では穏やかな朝を迎えられたことがない。今朝もヤヤが何かしらしでかしているらしく、食堂が賑やかだった。

「何事だ」

 もはや朝の挨拶と同様になった言葉を、キリルはメイドに投げかけてみた。世間一般の朝の挨拶を寄越した後、メイドは顔を綻ばせる。

「ヤヤ様が料理をお作りになっているのです」

 このメイドの一言は、有り得ない要素を多分に含んでいた。まず第一に、使用人は主人の客を名前で呼ぶことはない。客人に家事をさせるなどもっての他であるし、それを微笑ましく感じていると悟らせてしまうことも問題だ。しかしそれらは全て、客人であるヤヤが望んだことなのである。それを知っているキリルは重いため息を吐き、さらに厨房を覗いて頭痛を発症した。

「キリルさん。おはようございます」

 キリルの姿を認めて呑気に挨拶をしてきたヤヤは、料理人が魔法で起こした火の上で鍋を振っていた。この世界では呪文一つで大抵のことが労せず出来るというのに、彼女は掃除や洗濯など、身の回りのことを自分でやりたがるのだ。そしてこの、珍妙な光景が生まれる。恐ろしいのはこの屋敷の使用人達が、この異常さに慣れてしまったということだ。

 行動を共にするうちに目の当たりにしてきたのだが、ヤヤはとにかく屈託がない。礼節を重んじているようだが硬すぎることもなく、彼女は自然体で人と接するのだ。その結果、オリヴァーの所ではカラテというものを子供達に教えて懐かれたり、オリヴァーやクレアの提案でトリニスタン魔法学園の見学に行った際にはマジスター達と仲良くなったりしていた。屋敷ではこの通り、使用人達と友人のような関係を築いている。キリルには頭が痛いだけだが、ヤヤには他人に好かれるだけの魅力があるのだろう。

「今日は何をしますか」

 手料理の振る舞いを断ったキリルは、ヤヤが朝食を終えるのを待って本題を切り出した。食後の紅茶を楽しんでいる彼女は、エクランドの本邸に行ってみたいと言う。この発想もオリヴァーやクレアがもたらしたものだった。アオイがオリヴァーの実家を珍しがっていたので、大貴族の本邸はヤヤも楽しめるのではないかというのだ。

 本音としては、キリルはヤヤを本邸に連れて行きたくなかった。何かと面倒そうだと思うのが、その理由だ。しかし断るわけにもいかず、キリルはヤヤの要望通りにした。エクランドの本邸は火山の中にあるので、異世界人であるヤヤには大いに楽しめる場所であったようだ。その間、ただ住居を歩いているだけのキリルは一刻も早く時が過ぎることを願っていた。だが祈りも虚しく、家人の気配を察知したキリルは顔を曇らせる。

「あら、キリル」

 タイミング悪く姿を現したのは姉だった。キリルはとっさにヤヤを隠すように体を動かしたが、そんなことをしても意味はない。キリルの背後を覗きこんで、姉はヤヤに声を掛けた。

「可愛らしいお客様ね。いらっしゃい」

「こんにちは。お邪魔してます」

「あら、貴方……」

 キリルが紹介する前にヤヤと話し始めた姉は、そう呟くと眉をひそめた。記憶の糸を辿るように視線を泳がせてから、彼女は再びヤヤを見る。

「以前にもお会いしたこと、あるわよね?」

「いえ、初めてだと思います」

「そんなことないわよ。その独特な服装、忘れられないもの。キリルが婚約を解消してまで一緒になりたいと言っていたお嬢さんでしょう? あら、でも……?」

 そこでようやく十年前の出来事だと思い至ったのか、眉根を寄せた姉はヤヤをまじまじと見た。キリルは可能な限り感情を押し殺して、余計なことを口走った姉に向かって口を開く。

「人違いです」

「そうみたいね。ごめんなさい」

 キリルが怒っていることを感じ取ったようで、姉はそそくさと退散して行った。余人がいなくなった後、キリルは密かにヤヤの様子を窺う。何か説明しなければならないのかとも思ったが、彼女はこちらを見ていなかった。

「そろそろ帰りましょうか」

 何か問われることを覚悟していたキリルはヤヤの発した言葉に拍子抜けした。エクランドの本邸はもう十分堪能したからと、彼女は淡泊に話を進める。釈然としない思いを抱きながらも断る理由がなかったので、キリルはヤヤの提案を受け入れることにした。

 ヤヤに貸し与えている別邸に戻ると、そこでは意外な人物がキリルを待ち受けていた。驚いて目を見開いたキリルに、来訪者は柔らかく微笑みかける。

「もう少し待って会えなかったら出直そうと思っていた」

 いいタイミングで戻って来てくれたと、呑気なことを言っているのはアルヴァだ。国政の中枢を担う彼は多忙な身であり、キリルと親しい間柄でもない。来訪の理由に見当がつかなかったキリルは困惑しながらも急ぎ、アルヴァの傍へ寄った。

「どうなされたのですか?」

「君と話がしたいと思ってね」

 キリルの質問に答えてから、アルヴァはヤヤに視線を移す。

「彼をお借りしてもよろしいですか?」

「はい。私は部屋に戻ってます」

 疑問を口にすることもなく、そう告げたヤヤは去って行った。その背中を追うように屋敷の中へ入ったキリルは、奥へと向かって行くヤヤを一瞥してからアルヴァを応接室に案内する。エントランスホールに程近い一室で、キリルとアルヴァは対面するように腰を落ち着けた。

「それで、話というのは?」

「少し、気になってね」

 アルヴァの物言いが遠回しなものだったため、キリルは微かに眉根を寄せた。何が気になったのかと尋ねてみれば、彼はヤヤのことだと言う。それでもキリルには話が見えなくて、アルヴァにさらなる説明を求めた。アルヴァは何故か、少し言いにくそうにしながら言葉を重ねる。

「彼女……ヤヤさんは、君の気持ちに気付いているのではないかと思って」

「……は?」

 アルヴァの口から予想もしていなかった科白が飛び出したため、真面目に聞いていたキリルは反動で呆けてしまった。キリルの反応に、何故かアルヴァも驚いている。しかし彼はすぐに表情を改め、今度は苦笑を作った。

「私の思い過ごしだったか。だが、今の話を忘れてくれと言っても君は納得してくれないだろうな」

「詳しい説明をお願いします」

「分かった」

 大きく息を吐いてソファーに背を預けると、アルヴァはやや投げやりな口調で説明を始めた。

「ミヤジマが自分達と行動を共にしないかと誘った時、ヤヤさんは断ったらしいね。でもその前に、ヤヤさんは君の元を離れてミヤジマ達のところへ行こうかと話していたようなんだ。それなのに、彼女は心変わりをした。その理由についてミヤジマは首を傾げていたが、私には解るような気がした」

 ヤヤはおそらく、キリルがアオイのことを好きだと気が付いたのだ。だから双方に気を遣い、アオイとは離れてキリルと行動を共にすることにした。アルヴァがそうした憶測を述べたことで、キリルの頭の中では独立していた複数の疑問が一つに繋がった。

 ヤヤがアオイの誘いを断った時、彼女はアオイとハルにもう自分の元へは来なくていいとまで言っていた。彼女がアルヴァの言うような人間なのであれば、あの言葉はアオイとハルをキリルから遠ざけるために発せられたものなのだろう。共に過ごした数日を思い返せば、彼女からアオイとハルについて問われた記憶もない。彼らの話が出たのは、オリヴァーとクレアのところで昔話を聞いた時くらいなものだ。だからエクランドの本邸でも何も言わなかったのかと、キリルは口元に手を当てて視線を泳がせた。キリルが黙り込んでしまったため、アルヴァが申し訳なさそうに話を続ける。

「私には、今の君がどういった気持ちでいるのかは分からない。だがヤヤさんは、そう受け取ったのだと思った。そのせいで君が苦い思いをしているのなら私が彼女を引き受けようと考えていたのだが……余計な世話焼きだったな」

 自嘲気味な口調で話を終わらせたアルヴァを、キリルは思わず凝視してしまった。以前に王城で話をした時にも感じたことだが、彼の厚意は少々度が過ぎる。

 アルヴァとキリルは友人という関係ではないが、同じ少女に想いを寄せて恋に破れたという点では同じ穴の狢だ。彼がどうやって失恋から立ち直ったのか、キリルは知らない。だが同じ経験をしただけに、その痛みを想像することは出来る。それはアルヴァも同じことで、自分はなんとか窮地を脱したがキリルがまだ苦しんでいるのなら手を差し伸べてやりたいと、彼はそう思ったのかもしれなかった。この解釈が真実かどうかは解らないし、アルヴァに真意を問うつもりもない。ただキリルは、なんとも言えずむず痒い気持ちになった。

(気持ちわりーな)

 だが、不快ではない。十年前のキリルは他人の気持ちというものを理解しようともしていなかったが、今はだいぶ考えを及ばせることが出来るようになっている。それは長い時間をかけて友人達が教えてくれたもので、気が付いてみれば、とても大切なことだった。相手の気持ちを考えてみれば、十年前は煩わしいだけだった同情や気遣いも優しさから生じているのだと見えてくる。アルヴァの気遣いは正にそれで、キリルは一つ息を吐いてから口角を上げた。

「ヤヤさんはアオイから何も聞いていなかったそうです。オリヴァーの所でそう、言っていました」

「そうか……。すまなかった」

「気になさらないで下さい」

 問題はないので、ヤヤはこのまま自分が預かる。キリルがそう告げたところで話は終わりになった。アルヴァが席を立ったのでキリルも立ち上がり、玄関先まで見送りを申し出る。それをアルヴァが辞退したため、キリルはその場で頭を垂れた。

「お気遣いいただき、ありがとうございました」

 キリルが突然頭を下げたためアルヴァは驚いていたが、最後には爽やかな笑みを見せて去って行った。アルヴァの姿がなくなると、キリルは再び応接室のソファーに体を沈める。空を仰いで目を閉じると、様々な人物の顔が脳裏をよぎっていった。





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