Loose Knot

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バブルシャワーがはじけたら


 ガラス張りのウエディングチャペルの向こうには陽光を浴びてエメラルドグリーンに輝くラグーンが広がっている。高層建造物が林立する都会とは一味違う空は果てしなく高く、何処へでも行けそうな海と彼方で一つになっていた。喧騒の代わりに細波の音が聞こえるチャペルの祭壇では白いタキシードを纏った男性とドレス姿の女性が向かい合って佇んでいる。結婚式の進行役である牧師の言葉に従って新郎は花嫁のベールを上げ、彼らは誓いのキスを交わした。

 列席者の席から新郎新婦を眺めていた小笠原ユウはふと、バージンロードを挟んだ反対側の席にいる少女の動きに目を留めて小首を傾げた。祭壇から顔を背けた少女の名は、倉科マイ。新郎である倉科秋雄は彼女の実兄なのだが、その仕種は何かを嫌がっているようで祝福ムードの漂うチャペルにおいては異質だった。

 挙式が終わり、新郎新婦が退場となると列席者達は一様に席を立った。チャペルの外ではすでに新郎新婦の友人達がスタンバイしており、透きとおった空にシャボン玉が舞っている。バブルシャワーに祝福された新郎新婦は式場の外に用意されていたオープンカーに乗り込み、走り去って行った。彼らが着替えを済ませて戻って来るとパーティーが始まるため、ユウは両親と共にチャペルに併設されている会場へと移動したのだった。

 今回、ハワイで挙式を行った倉科秋雄と美樹夫妻はどちらも親戚でもなければ友人でもない。そんな人物の挙式に高校生のユウがどうして参列したのかと言えば、ユウの両親が倉科家と仲がいいためである。また一時期交流が途絶えていたことがあるものの、一人っ子であるユウにとって秋雄は歳の離れたお兄ちゃんのような存在だった。普段は出不精なユウが初の海外旅行に臨んだのも、それが秋雄の結婚式だったからである。新婦の美樹とも面識があったため結婚式だからと言って特別な感慨はないが、それでも平素に比べれば少し、ユウは心を動かされていた。しかしパーティーの主役である秋雄の周囲には常に人だかりがあり、なかなか話しかけられるような場面がない。他の列席者は初対面の者ばかりなので話し相手になるとすれば両親くらいなものだが、ユウの両親は息子をほっぽりだしてパーティーを楽しんでいる。だが両親の人好きは今に始まったことではないので、ユウはユウで両親を捨て置いていた。

 チャペルに併設されたパーティー会場もガラス張りの構造になっていて、ラグーンが見える。日本の狭い空とは違う開放的な青空も白い砂浜も、透きとおった海も、ユウにとっては全てが新鮮だった。そして何よりも日常からかけ離れているのは正装した人々が作り出す華やかな空気である。こういった特別な場でなければ味わうことの出来ない雰囲気に接するのは初めての経験であり、ユウは飽きることもなく上気した人々の顔を眺めていた。この場が殊更華やいで見えるのは、普段男ばかりの中に身を置いているせいなのかもしれない。

「ユウ! ユウ、どこ行った?」

 不意に呼び声がしたので、ぼんやりしていたユウは我に返って背筋を正した。人に紛れていて姿は見えないが、どこかで秋雄が呼んでいる。男ばかりの人だかりから再び秋雄の声がしたので、ユウはそちらへ寄った。

 果たして、秋雄はその集団の中にいた。彼の周囲にいるのは若い男ばかりだったので、おそらく友人達なのだろう。すでに酒が入っているようで、彼らは上機嫌に笑っていた。ユウは秋雄の隣に佇んでいるマイを一瞥して、それから一人だけ表情を曇らせている秋雄に視線を転じる。

「秋雄さん、何?」

「ユウ、このバカなお兄さん達からマイを守ってやってくれ」

「……うん?」

 秋雄の言い出したことがうまく呑み込めなかったユウは首を傾げた。しかしユウが問い返す前に秋雄の友人らしき男達が奔放に喋り出す。黙って彼らの話に耳を傾けたユウは、それで何となく事情を察した。要するに、酔っ払いがマイにちょっかいを出したということだろう。

「守るだなんて、ナイトみたいね」

 新郎の背後から現れた新婦が秋雄の大袈裟な発言に茶々を入れる。すでに酔いの回っている秋雄の友人も、秋雄自身も、美樹の一言を受けて吹き出した。

「そりゃあいい。よろしくな、ユウ」

「ナイトがいるんじゃウカツにデートにも誘えないなぁ」

「マイちゃんと白浜を歩きたかったのに〜」

 ふざけあって盛り上がっている秋雄達を余所目に、当事者であるユウとマイはお互いに沈黙を保っていた。それは賑やかな集団が嵐のように過ぎ去って行ってからも変わらず、ユウとマイは所在無く立ち尽くしている。だが黙っていても仕方がないのでユウから口火を切った。

「おめでとう」

「あ、ありがと。って、私が言うのも変だけど」

「身内の結婚式なんだから、いいんじゃないか?」

「そうかな?」

 そこで自然に、ぷつりと会話が途絶えてしまった。マイが再び気まずそうな表情をしたのでユウは小さく息を吐く。

「ちょっと、出ない?」

「……えっ?」

 唐突な誘いにマイは困惑を露わにした。マイの返事を待たず、ユウは会場の外へ向かって歩き出す。ユウは着いて来なくても仕方がないという程度に考えていたのだが、マイは誘いを断らなかった。マイが着いて来ていることを横目で確認したユウは会場を出た足で白い砂浜へと向かう。マイが少し距離を置いていたので二人は黙々と砂浜へ続く石段を下ったのだった。






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