Loose Knot

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雨の日の小さな嘘


 ビルの中へ入った後、ユウ達は最上階に入っているファミリーレストランに入店した。アルバイトもしていない学生の身ではドリンクバーが精一杯であり、それぞれに好きな飲み物を注いで席に戻る。ここに至るまでユウが一言も喋っていないので、並んで腰を下ろしている渡部と国松は顔を見合わせた。

「小笠原、さっきのってもしかして倉科?」

 沈黙を破ったのは渡部だった。ユウが嫌な表情を作って頷くと、国松が興味津々といった様子で身を乗り出す。

「霞ヶ原の知り合いってあの子? 小笠原とはどういう関係なんだ?」

「ただの幼馴染みだろ?」

 国松の横槍を渡部があっさり受け流す。問いを投げかけられたユウは答えようがなかったので黙っていた。しかしマイの話は終わらず、今度は渡部が疑問をぶつけてくる。

「ケンカでもしたのか?」

 マイの態度にムッとしたことは確かだが「ケンカ」と言うには一方的だったので、ユウは首を振る。渡部が不可解だと言いたげに眉をひそめた。

「じゃあ、何で怒ってるんだ?」

「別に、怒ってない」

「いや、怒ってるよな?」

 渡部が同意を求めると国松が深々と頷いた。

「小笠原が怒るとこなんて初めて見た。さっきの子と何があったのか話してみろよ」

 マイとの些細なやりとりがこれほど注目されるとは思わず、ユウは国松の突っ込みにうんざりし始めていた。だが渡部にまで説明を求められたので、ユウは渋々口を割る。ユウが先程の出来事を聞かせると渡部と国松は拍子抜けしたような顔をした。

「それ、ただ単に照れくさかっただけじゃないのか?」

 幼馴染みとはいえ、ユウ達はもう高校生なのである。異性なのだからいつまでも子供の付き合いは出来ないだろうと、渡部は言う。ユウは渡部のそうした意見に拍子抜けした気分になった。

 中学生の頃のマイはユウが照れくさいから嫌だと言っても無理矢理傘に入ってくるような少女だった。その彼女が高校生になってようやく思春期を迎え、相合傘が照れくさくなったから嘘をついたということなのだろうか。マイのペースに付き合っているうちに彼女が隣にいることが自然なこととなっていたユウは今更だと感じた。だがそう思うことは、身勝手なのかもしれない。

「そんなことで怒ってたのか。小笠原ってお子様だな」

 テーブルに肘をついてストローをくわえた国松が呆れた様子で言う。もう否定するのも億劫になっていたユウは無言でグラスを手に取った。

(そんな風に変わっていくのか……)

 変わっていくのは、仕方がない。だがゆっくりと時間をかけて築いてきたものが性急に変わってしまうことはやはり寂しかった。

 マイも「女」だったことを改めて認識したユウは複雑な心境を顔に出さないため、頬杖をついて雨が降りしきる窓の外に顔を傾けた。






 雨が止むまで渡部達と時間を潰してから帰宅したユウは玄関を開くなり母親に出会った。今日は遅かったのねと一声かけた後、母親は何かを思い出した様子でリビングに引き返して行く。二階へ上がらず待っていろと言われたのでユウは所在無く自宅の玄関先に佇んでいたのだが、ふと、ある物が目に留まった。

「マイ、来たの?」

 傘立てに鎮座している見慣れた傘から視線を外したユウは、ちょうど戻って来た母親に尋ねてみた。ユウの母親は面食らった様子で、どうして分かったのかと逆に問う。ユウが傘を指すと彼女は納得した風に頷いた。

「カサ、ありがとうって言ってたわよ。それと、これはお礼だって」

 母親が差し出したのは可愛らしくラッピングされた小袋だった。小袋を受け取ったユウは中身を推測するために軽く振ってみる。上下に揺さぶられた小袋はカサカサという音を立てていた。

「中身はクッキーよ。たくさん作りすぎちゃったって、私にもくれたの」

「そう」

「カサ貸してもらったお礼にわざわざ焼いてくれるなんて、マメよね」

 マイの趣味がお菓子作りであることは周知の事実だが、わざわざ焼いたと聞いたユウは軽く眉根を寄せた。ただ単にお菓子を作りたかっただけなのかもしれないが、もしかしたらマイはユウが見せた不機嫌さを気にしてしまったのかもしれない。だがそれならば、初めから嘘などつかなければいいのである。分からないなと思いながら、ユウは母親と別れて二階にある自室へ戻った。

 自室へ戻るとすぐ、ユウは上着を脱ぎ捨ててベッドに腰掛けた。手にしている小袋を眺めていると、昼間見たマイの姿が蘇る。高校生になってからたった二ヶ月で垢抜けてしまった彼女はユウに話しかけられて若干迷惑そうな空気を醸し出していたのだ。それなのに、わざわざお礼を持ってくる。ユウはもう一度、分からないと呟いた。

 掌で小袋を弄んでいたユウはふと、緩く結ばれたリボンに紙片が挟まれていることに気がついた。リボンは解かず紙片だけをすくい上げ、開いて見る。そこには短いメッセージが記されていた。

『何で怒ったのか分からないけど、ごめん。カサ、ありがと』

 たった二行の簡略な言葉だったが、マイから手紙を渡されたのは初めてのことだった。手紙でやりとりをするまでもなく、今までは直接言葉を交わすことが自然だったのだ。不自然な手紙は、そのまま離れていく距離を物語っている。ユウは一読した手紙をゴミ箱に捨て、小袋から取り出したクッキーは口に放った。






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