前方に海と空を望む砂浜は結婚式で新婦が着ていたウエディングドレスのように白かった。陽光を反射している水面は凪いでいて、穏やかな波が静かに打ち寄せてくる。話をするためにパーティー会場を抜け出してきたものの、景色があまりにも良かったのでユウはぼんやりと見入ってしまった。
「ユウ、スーツなんだね」
後ろから控えめな声がしたのでユウは同伴者の存在を思い出して足を止めた。先を歩いていたユウが歩みを止めたことでマイも自然と立ち止まる。海から吹きつけている柔らかな風がマイの身につけているフレアスカートの裾を微かに揺らしていた。
「マイのは、礼服?」
「礼服がよく分からないけど、たぶん普通のパーティードレスだよ」
「ふうん」
ユウにはパーティードレスの普通が分からなかったが、シックな装いをしているマイは梅雨時に見かけた姿よりも洗練されているように思えた。大人っぽい服装をして化粧をしている彼女は中学生の頃とはまるで別人である。女らしいマイをまだ見慣れていないユウは居心地の悪さを感じて目を逸らした。そんな些細な仕種でも気になったようで、マイは眉根を寄せる。
「あのさ、まだ怒ってるの?」
「怒ってる?」
「この前会った時、怒ってたじゃん」
マイの言う『この前』のことを思い返したユウは複雑な気持ちになって曖昧に表情を歪めた。
今から一ヶ月ほど前の雨の日、珍しく高校の友達と寄り道をしたユウは偶然マイと会った。その時にちょっとした出来事があり、マイはユウの態度を『怒っている』と解釈したのだった。そういえばマイに会うのはあれ以来だと思い至ったユウは眉根を寄せて空を仰ぎながら答える。
「怒ったわけじゃ、ない」
「……絶対怒ってたよ。何で? 私、何かした?」
マイに問い詰められたユウは返答に困って閉口した。マイも口を噤んだものの、現在の空気を払拭させるような雰囲気はない。彼女が確実な返答を待っていることを察したユウは渋々口を割った。
「マイが、嘘つくから」
「ウソ?」
「カサに入ってくかって訊いた時、待ち合わせしてるって言ってた。あれ、嘘だろ?」
「ああ……あれね」
それまでユウを詰っていたマイは途端に目を泳がせた。彼女の態度は都合の悪い話題を持ち出されたと言わんばかりである。ユウは移り気なマイの態度を責めようと思うこともなく、むしろ呆れてしまった。
「何でそんな、すぐ分かるような嘘つくんだよ」
「だって、あの時はユウが友達と一緒だったし、相合傘なんて恥ずかしいじゃん」
中学生の時のマイはそんなことを気にするような女らしさを持ち合わせていなかった。傍目を気にしない彼女のせいで、何度冷やかしまがいの目に遭ったことか。そうした過去を積み重ねてきただけに、ユウにとってマイの言い分は非常に今更だった。しかしマイは、ユウが思春期の恥ずかしさを乗り越えてきたことを知らないのだろう。わざわざ中学時代のことを持ち出すのも面倒だったのでユウはただただため息をついた。
「俺に話しかけられるの、嫌?」
「そんなこと言ってないし、嫌なわけないじゃん。ただ、カサに入れてもらったりするのは、ちょっと……」
誰かに見られたら誤解を生むからと、マイは小声で零す。マイが何を気にしていたのかようやく理解したユウは納得すると同時に意外な気がしていた。
「彼氏ができたのか」
「……彼氏じゃないけど、好きな人がいるの」
「解った。そういうことなら、気をつける」
あの雨の日以来、ユウはマイに対して煮え切らない思いを抱いていた。だがそれは不明瞭なことに対する後味の悪さであり、不可解な部分がはっきりと見えてしまった現時点ではわだかまりも消え去っている。だからユウの方はすっきりとした気分だったのだが、今度はマイの方が不可解そうに表情を曇らせていた。
「あのね、ユウ」
「何?」
「どっかでばったり会っても知らん顔してって言ってるわけじゃないからね?」
「別に無視しようと思ってないけど? 何でいきなりそんなこと言い出すわけ?」
「だって、なんか、絶縁宣言された気分」
マイはそう言って寂しそうな顔をしたが、先に変わってしまったのは彼女の方なのである。だが高校生にもなれば好きな人の一人や二人いることは当たり前のことであり、ユウはただ自然なことを自然のまま受け入れただけだった。その結果としてある種の距離ができてしまったとしても、それは仕方がない。しかしマイに恋人ができたからといって縁が切れてしまうのかと言えば、そうでもないだろう。
「変わるけど、変わらない。それでいいじゃん」
「……もうちょっと詳しく説明してくれないと意味不明だよ、ユウ」
「今こうして話してるみたいに自然な感じが、いい。マイもそう思ってるんだろ?」
「うん」
「だったら余計なこと考える必要ないじゃん。普通にしてればいいんだよ」
ユウとマイは元々、近付きすぎることもなければ遠ざかることもなく気楽な付き合いをしてきた。何もお互いの言動を深読みする必要はなく、これからも気楽な付き合いを続けていけばいいだけなのだ。縁があれば付き合いはずっと続くだろうし、縁がなければ自然と疎遠になるだろう。
「そっか。それもそうだね」
ユウの考えに賛同したらしいマイは深々と頷いた。お互いにすっきりしたところでパーティー会場に戻ることにして、ユウとマイは並んで白浜を歩き出す。波打ち際には相変わらずの緩い風が吹いていて、チャペルの方からシャボン玉が流れてきた。
「キレイだね」
雲一つない濃い青空に吸い込まれていくシャボン玉を指差してマイが無邪気にはしゃいでいる。誰かを祝福しているバブルシャワーを眺めていたら不意に挙式での出来事を思い出し、ユウはマイの方に顔を傾けた。
「そういえばマイ、秋雄さんと美樹さんが誓いのキスしてる時に顔背けてなかった?」
「……見られてたんだ? なんかねぇ、見ちゃいけないものを見た気分になっちゃって」
「ふうん。兄妹ってそんなもんなんだ」
「だって、身内のそういう場面って複雑じゃない? ユウだって、おじさんとおばさんがキスしてるとこ見ちゃったらどう思う?」
「……例えが悪すぎると思う」
思わず想像してしまったユウは複雑という一言では言い表せない妙な気分に陥った。例えが悪かったのはマイも同感らしく、彼女は腹を抱えるようにして笑い出す。抜けるように青い空と海が広がる南国の楽園で久しぶりにマイの明るい笑顔を見たユウは和やかな空気が戻って来たことを嬉しく思いながら微かに口元を綻ばせた。
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