一年の休みのうちで最も日数が長い夏の休みも終わりを迎え、九月一日がやってきた。この日は防災の日であると同時に二学期が始まる日でもあるのだが、九月に入ったばかりの日本は未だに夏の空気を引きずっている。そうそうすぐには秋が訪れないように、久しぶりに訪れた学校の教室内も代わり映えしないものだった。
小笠原ユウの通う
「久しぶり」
渡部が声をかけてきたのでユウは頷くだけで返事とする。再会の挨拶もなくユウを眺めていた国松は呆れたように息を吐いた。
「お前、夏だってのに全然焼けてないな」
家にいることが多いユウでも夏の日差しに晒されてまったく日焼けしていないわけではない。だがユウの些細な肌色の変化がくすんでしまうほど、国松と渡部は真っ黒に日焼けしているのである。共にサッカー部に所属している彼らは学校が休みであろうと練習に明け暮れていたのだろう。
「小笠原ってさ、ふだん何してるわけ?」
ユウの前の空席にどっかりと腰を下ろした国松が頬杖をつきながら言う。ノリも悪いし付き合いも悪いから日常が想像出来ないと言われ、ユウは問いに対する答えを考えた。
「何って、別に。普通にしてるだけだけど」
「そのフツウっていうのがアヤシイよな。本当は夜通し遊び歩いてるとかさ、何か隠してるんじゃないか?」
国松に指を突きつけられたユウは言いがかりをつけられる意味が分からないと呆れ、嘆息した。だが国松がユウに難癖をつけるのはいつものことであり、国松本人を含めて誰も彼の発言を本気にしてはいない。平素であればこの辺りで話題が変わるところなのだが、この日は渡部が口を挟んだのでユウに関する話題が続いた。
「例えば、昨日は何をしてたのか。朝からの行動を思い返してみれば説明しやすいんじゃないか?」
渡部にそう言われたのでユウは夏休み最後の日である八月三十一日の行動について思いを巡らせた。ユウにとっては昨日の出来事も日常と変わりないものなのだが、それを話せば国松が妙なことを言い出さなくなるのかと思い、順を追って説明を始める。
「昨日は……八時ごろ起きて二度寝して、十一時ごろに起きて昼食べて、布団を干して部屋を掃除して、三時ごろに布団とりこんで昼寝して、五時ごろ起きて本読んで、夕食食べて寝た」
「……ほとんど睡眠時間なんだな」
問いを投げかけた渡部が尋ねてすまなかったと言わんばかりの反応を寄越す。国松にいたっては呆れ果ててコメントもないようだった。しかし睡眠が至福であるユウにとっては誰に何を言われようと関係がないのだ。
「そういえば、盆休みがあったじゃん。渡部はどっか行ったのか?」
ユウに見切りをつけた国松が口調を改めて渡部に話しかける。渡部もそれに答えたのでユウは黙って二人の話を聞いていた。
「旅行とかには行ってないけど、久しぶりに久本に会った」
「へえ。元気そうだった?」
「買い物してたら偶然会ったんだけどさ、相変わらず彼女と一緒だったよ」
「おー、キミコちゃんか。あの二人、まだうまくやってんだ?」
「そうみたいだな」
「で、渡部は? 彼女とデートしたりしなかったのか?」
「ああ、別れたから」
「……へ?」
軽い調子で尋ねていた国松は間の抜けた顔になったきり動かなくなってしまった。その姿を見た渡部は苦笑いを浮かべ、話題を変えるためなのかユウを振り向く。
「その生活スタイルじゃ小笠原は旅行とかには行かないんだろうな」
「ああ……そういえば、旅行には行った」
「それは意外。どこ行ったんだ?」
「ハワイ」
「ハワイだと!?」
それまで呆けていた国松がハワイに異常な反応を示し、ユウに詰め寄った。国松に迫られたユウは椅子ごと体を引き、安全そうな距離を確保する。彼らの間には机があるので一定以上に距離が縮まることはなかったが、国松はユウに恨めしそうな視線を投げかけたままだった。
「俺達がしけった日本で練習してる時に、よりにもよって海外旅行かよ」
俺だってまだ行ったことないのにと、国松はお門違いな恨み言を連ねる。国松に僻むなと言って笑いかけた後、渡部はユウに興味深そうな目を向けてきた。
「家族旅行か? いいよな、海外」
「観光もしたけど、ハワイに行ったのは結婚式に招待されたから」
「へえ。誰が結婚したんだ?」
「マイのお兄さん」
「えっと……倉科?」
ユウが名前で呼んだので、渡部は半信半疑な様子で語尾を上げた。ユウが頷いて見せたところで好奇心を剥き出しにした国松がしゃしゃり出てくる。
「誰?」
「ほら、前に一度見ただろ? 霞ヶ原の制服着てた子だよ」
「ああ、小笠原の好きな子!」
渡部が説明を加えると国松はしたり顔で手を打った。何故そうなるのか解らなかったユウは目を瞬かせる。ユウと渡部が無言でいたので、国松は不可解そうに眉根を寄せた。
「あれ? 違ったっけ?」
「ただの幼馴染みだろ?」
国松と渡部に視線を注がれたユウは驚きを収め、次第に答えるのが面倒になりながらも頷いて見せる。
「マイには好きな奴がいるんだって」
このことを告げれば余計な勘繰りを入れられなくて済むだろうとユウは思っていたのだが、その一言は逆に国松の好奇心を刺激してしまったようだった。所詮は他人事なので楽しそうに目を輝かせ、国松はいやらしい笑みを浮かべる。
「それってさ、小笠原のことなんじゃねーの?」
「いや、それはない」
ユウがあっさりと即答したので国松は興醒めしたような顔をした。しかしまだ茶化し足りないらしく、彼は尚もこの話題を引きずろうとする。
「そんなの分かんないじゃん。彼女にはっきり違うって言われたのか?」
「言われた」
本当は断定的に言われた訳ではなかったがマイの好きな人が自分ではないことは九割がた確実なので、ユウは肩を竦めて見せた。さすがの国松も、これには為す術なく閉口する。二人の会話が途切れたところで渡部が口を開いた。
「あの倉科に好きな奴が出来たのか。中学までは全然色気なかったのに」
それで前回会った時は印象が変わっていたのかと、渡部は納得した様子で頷いている。マイを悪く言われたような気がしたユウは渡部の発言に少し憤りを感じた。ユウの視線に気が付いた渡部は困惑になる。
「なんか、怒ってるか?」
「……別に」
「いや、怒ってるよな? 確実に」
ユウの態度が突然変わったので渡部は慌てたようだった。しかしユウ自身には渡部がどうして焦っているのか分からず、首をひねる。そんなやりとりを見ていた国松がため息を吐きながら席を立った。
「小笠原って謎だな」
それまでの会話を濃縮したような一言を置き去りにして国松は自分の席へと戻って行った。ちょうど担任の教師が姿を現したので、渡部もユウを気にしながら窓際へと歩き去る。会話する者がいなくなったので机に肘をつき、ユウは久しぶりに見る担任教師に何となく視線を注いだ。
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