渡部と別れて一人で帰路を辿っていたユウは、自宅の前に佇む少女の姿に目を留めて眉根を寄せた。雪の中、傘をさして佇んでいる少女の顔は、この距離からだとまだ見えない。だが待たれるような相手には一人しか心当たりがなかったので、ユウは訝しく思いながら足早に歩み寄った。
「マイ?」
ユウの声に反応して傘を傾けた少女の顔は、しかし近所に住む少女のものではなかった。染めているのではないナチュラルなブラウンの髪が目を引く彼女の姿に、ユウは驚いて瞠目する。
「ごめんね、急に来て」
すまなさそうな表情をしてそう言ってのけたのは、国松の想い人である松丸だった。本日がバレンタインデーということもあり、二年前の光景と重ねて見てしまったユウは再び眉根を寄せる。ユウが渋い顔をした理由をすぐに察したようで、松丸は笑いながら首を振った。
「大丈夫、今日はチョコレート持ってないから」
考えを読まれたことを気恥ずかしく思いながらもユウは密かに安堵していた。しかしそれならば、こんな雪の中で待たれている理由が分からない。松丸の白い頬は寒さのために赤くなっているから、彼女はずいぶん前からユウの帰りを待っていたのだろう。
「とにかく、上がって」
松丸が自分を訪ねてきたことは明白だったので、ここでは話も出来ないと思ったユウはそう誘ってみた。しかし松丸は、首を振って見せる。すぐ済むからと、彼女はそのまま話を始めた。
「中学の時にフラれちゃってるけど、私、あれからもずっと、小笠原くんのこと好きだった」
率直な告白を唐突にされ、ユウは絶句した。だが松丸の告白は答えを求めたものではなかったようで、彼女は少し困ったような表情で微笑んでいる。何か、彼女との間に感情のズレを感じたユウは真顔に戻って続きを促した。バレンタインデーなのにチョコレートを持ってきていないという松丸は、感情を昂らせることもなく淡々と話を続ける。
「花郷の文化祭に行ったのもね、小笠原くんに会えるかなってちょっとだけ期待してたからなんだ」
そして国松に捕まって、彼女は追いかけまわされる羽目になったのである。そうした裏話を明かされるとユウはどんな反応をしていいのか分からなくなってしまった。
「国松はそれ、知ってるのか?」
「うん。クリスマスに告白されて、その時に全部話したから」
「あ、そう……」
年明け以降、国松が妙に恨み言を聞かせるようになった理由を悟ったユウは曖昧に笑みを浮かべた。松丸もつられるように微笑みを返し、それから目を伏せて言葉を重ねる。
「本当はね、フラれてもいいからもう一回チョコレート渡そうかなって思ってた。でもね、敵わなさそうだったからやめたの。だから今年は、別の人にチョコあげちゃった」
一息に言い切った松丸は、顔を上げて笑みを見せた。彼女が何のために胸の内を明かしているのか察したユウは『別の人』が国松であることを願いたい気持ちになった。しかしその話題には触れず、ユウは柔らかな笑みを松丸に向ける。
「ありがとう」
「……うん。聞いてくれて、ありがとう」
また皆で遊ぼうねと笑顔で言い、松丸は傘を斜にして歩き出した。心なしか背中を丸めているように見える松丸の後ろ姿を見えなくなるまで見送り、ユウは傘に積もった雪を払って玄関を開けた。
「ただいま」
「おかえり、ユウ。さっきマイちゃんが来たわよ」
出迎えに来た母親の放った一言に、ユウはどうしてかギクッとした。しかし努めて平静を装い、傘を玄関脇に置きながら母親に話しかける。
「何だって?」
「まだ帰ってないって言ったら、後でまた来るって言ってたわ」
「あ、そう」
母親との会話を短く切り上げ、ユウは自室に戻って着替えを済ませた。それから再び家を出て、隣の隣にある倉科家へと向かう。インターホンを鳴らすとすぐ、マイの母親が顔を覗かせた。
「あら、ユウちゃん。上がって上がって」
ユウが用件を言う前から好意的な笑顔を見せ、マイの母親は玄関を開けっぱなしにして家の中へと引き返していく。そのまま大声で娘の名を呼んでいるので、ユウは苦笑しながら倉科家の玄関に進入した。
「あ、ユウ」
二階から降りてきたマイはユウの顔を見るなり嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑みが何を意味するのか分からず、ユウは首を傾げる。
「さっき来たって聞いたんだけど。何?」
「雪合戦しよう!」
キラキラと瞳を輝かせながらそう言ってのけたマイは、すでに遊ぶ気が満々のようである。外の寒さに思いを馳せたユウはマイのはしゃぎように納得し、ため息を吐く。
「寒いからやだ」
「えー、いいじゃん。朝香とかも呼んでさ、皆でやろうよ」
マイが放った何気ない一言に過剰な反応をしてしまったユウは反射的に首を振っていた。マイが名前を出したのは朝香だけだったが、皆で遊ぶとなれば彼女だけで済むはずがないのである。今日だけはさすがにまずいと思ったユウは、仕方なく雪合戦に付き合うことにした。
「じゃあ、厚着してくる」
楽しそうに言い置き、マイは自室へと引き返して行った。倉科家の玄関に佇んだまま嘆息しているユウの傍へは、マイの母親が寄る。
「ごめんね、ユウちゃん。まったく、いつまで経っても子供なんだから」
ユウに謝りつつも、マイの母親は不満そうな顔をして娘が去った後を見上げている。マイが子供だと何がいけないのか分からなかったユウは口を開かず、曖昧な笑みを浮かべるだけで応えとした。
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