Loose Knot

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ターニングポイント


 目覚めると、カーテンを引いていない窓からは夏の日差しが容赦なく差し込んできていた。すでに太陽は高く昇っているようで、陽光に暖められた室内はまるでサウナのようである。額から流れ落ちる汗を拭いながらベッドの上で上体を起こしたユウは、今が何時なのかを確認するため目覚まし時計に目を移した。小学生の頃から使っている学習机の上に座している時計の針は十二時の辺りを指している。出かけなければならない時間が迫っていたため、ユウは慌ててベッドを飛び降りた。

 全開にしていた窓とカーテンを閉め、着替えとタオルと財布を持って階下へ下りる。玄関に財布だけを置くと風呂場へ引き返し、ユウは寝汗にまみれた体を冷たいシャワーで洗い流した。烏の行水で風呂を済ませ、ドライヤーを片手に洗面台の前に陣取る。しかしどうせ外へ出れば汗に濡れるからと、ユウは生乾きのままドライヤーを手放した。

「母さん!」

 出かけることを告げようと思い、ユウは靴を履きながらリビングの方へ声をかけた。しかしリビングは静まり返っており、誰かが扉を開けて出て来る気配もない。買い物にでも出かけたのだろうと考えたユウは再び靴を脱ぐことなく、そのまま出かけることにした。

 家を出たユウはまず最寄りの停留所へ行き、バスの時刻を確認した。だが運悪く行ってしまった後のようであり、バスを待つ時間を惜しんだユウは炎天の下を駅に向かって歩き出す。頭上の彼方で輝いている太陽は生乾きだった髪の毛を完全に乾かしてくれたものの、すぐに汗をも噴き出させた。

(熱い……)

 胸中でぼやいたものの夏の暑さが嫌いではないユウは急ぐことを諦めて歩調を緩めた。そうしてのんびりと、待ち合わせ場所である駅へと向かう。後ろからやって来た駅行きのバスに追い抜かれたユウが待ち合わせ場所に辿り着いたのは、約束の時刻より十五分ほど遅刻した頃合だった。

 駅の改札を出てすぐの所に、スポーツバッグを地べたに置いて座り込んでいる制服姿の少年達がいた。白い半袖のシャツから日に焼けた肌を覗かせている少年達は、ユウが姿を現したので顔を傾けてくる。二人の少年のうち一人が、遅刻していながら急いで来た様子もないユウを見て腹立たしそうに立ち上がった。

「遅い!」

 クラスメートである国松に怒られてしまったユウは素直に非を認めて詫びた。ユウが謝っても国松はまだ不服そうな顔をしていたが、もう一人の級友である渡部は大して気にしている風もなく立ち上がる。

「そんなことより早く行こうぜ。ノドかわいた」

 国松と渡部は共にサッカー部に所属しており、夏休みでも練習があるため毎日のように学校へ行っている。そんな彼らは今日も練習帰りであり、喉が渇いているのは同じだったようで国松も渋々頷いている。改札前から離れた少年達は一度地階へ潜り、そこから駅に直結しているビルの中へと入り込んだ。

「今年も全然焼けてないな」

 飲食店に入って腰を落ち着けるなり、渡部がユウの顔を見て言った。国松も彼の意見に同調し、「不健康だ」などと言っている。夏の日差しの下で練習に励んでいる彼らと比べられても困ると、ユウは苦笑いを返した。

「来週だっけ? 試合」

 話題の矛先を変えるため、ユウは自ら話を振った。渡部と国松は同時に頷いたが、彼らは何故か肩を竦めている。

「そうだけど、別に応援に来なくていいからな?」

「何で?」

 応援に行く気は最初からなかったものの、ユウはとりあえず尋ねてみた。渡部と国松は小さくため息をつき、どちらもレギュラーには選ばれなかったのだと明かした。

花郷うちみたいな強豪校で簡単にレギュラーになれるほどサッカーは甘くねーんだよ」

 高校に入って同じクラスになってから渡部と国松が毎日飽きもせず練習に打ち込んでいる姿を見てきたユウは、そんなものなのかと胸中で呟いた。ユウが表立った反応を返さなかったので、渡部と国松は二人で話を始めている。初めは間近に控えた大会の話をしていたが、彼らの話題は次第に別のことへと移っていった。

「松丸、応援に来てくれるんだろ? アツイね」

「そーゆー渡部こそ、いいかげんアサカちゃんと付き合ってやれば? 俺、アサカちゃんの健気な姿を見てると泣けてくるよ」

「うるさいな。黙れよ、クニコ」

「クニコって呼ぶなって言ってんだろ」

 彼らの話題が不穏なものだったのでユウは口を挟むことなく聞き役に徹していた。渡部と国松はしばらく睨み合っていたが、やがてお互いに不毛なケンカだと気がついたらしく険を解いた。

「いいんだ、彼女は俺を選んでくれたんだから。な、小笠原?」

「ずっと友達だと思ってたもんは簡単には変えられないよな、小笠原?」

 国松にも渡部にも同意を求められたユウは、否定も肯定も難しいと思ったので曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。そもそも、何故その問いが自分に向けられるのかが分からない。ユウはそう思ったのだが、国松と渡部は顔を見合わせて小さく首を振った。

「小笠原ってさ、好きな子とかいないのか?」

 高校一年で同じクラスになってから今までユウからそんな話は聞いたことがないと、国松が呆れ顔で言う。ユウが考えるまでもなく国松の問いに答えると、渡部も軽く眉根を寄せた。

「好きなタイプとかは?」

「そういや、聞いたことなかったな」

 一度は渡部に顔を向けた国松も再びユウを凝視したので、二人の視線を集めてしまったユウは眉をひそめて空を仰ぐ。しかしタイプと言われても、ユウの頭には誰の顔も思い浮かばなかった。

「何かあるだろ。芸能人だったら誰が好きとか」

 国松が助け舟を出すように有名どころの女優やアーティストの名前を口にしたが、誰にも関心がなかったユウは無言で首を振った。国松と競うように名前を挙げていた渡部もお手上げといった様子でドリンクに手を伸ばしている。ユウの好みに終始していては話が続かないので、最初に話を始めた国松も早々と話題を変えた。

「腹減ったな。何か頼むか?」

「俺、金ない。家帰って食べるわ」

「俺もシャワー浴びたいし、そろそろ行くか?」

 特に目的があって集ったわけではないので国松の一声で解散となり、級友達と別れたユウはビルの中に入っている本屋に寄ってから家路を辿ったのだった。






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