Loose Knot

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レッツ フォーゲット


 夏の日差しが少しずつ勢力を弱め、湿っていた空気が日増しに乾燥していく秋の午後、小笠原ユウは賑わっている教室の片隅で椅子に腰を下ろし、ぼんやりと頬杖をついていた。朝晩はだいぶ肌寒くなってきたが、まだマフラーやコートが必要なほどではなく、秋の日差しに暖められた教室内は適度な温度を保っている。それはユウがいる教室内に限ったことではなく、平素の倍はいそうな人が行き交っている校舎全体に言えることだった。

 よく晴れた十月中旬の土曜日、今日はユウの通う花郷はなさと大学付属高等学校の文化祭初日である。花郷大学付属高校は由緒ある男子校だが文化祭は一般公開しているため、この日の校内には華があった。普段は男ばかりなため、秋物の服を着た若い女性が校内にいるというだけで生徒達は心なしか嬉しそうにしている。クラスメートである国松などはここぞとばかりに盛り上がっていたものだが、そういったことに関心の薄いユウは窓辺の陽だまりでウトウトしながら、クラスの催し物である喫茶店を手伝うでもなく眺めていた。

「ヒマそうだな」

 頭上から声が降ってきたので、ユウは半ば落ちかけていた瞼を上げて声の主を見た。話しかけてきた者が誰であるのかを確認し、ユウは軽く頷いて見せる。店番が終わると同時に教室を出て行った渡部が戻って来ていて、彼は閑散としている室内を見渡して苦笑を浮かべていた。

「ま、それも当然か」

 渡部の言うように、ユウ達のクラスに客が寄り付かないのは半ば当然の結果だった。それには、とある裏事情がある。

 ユウ達のクラスの出し物は喫茶店であり、売りは『漢の焼き菓子』となるはずだった。だが漢の料理は豪快でなければならないという間違ったコンセプトに従ったせいで、一つ口にすれば胸焼けするほど油っぽいクッキーや黒焦げとなったメレンゲなど、到底売り物とは呼べない代物が出来上がったのである。これが不評でないはずがなく、ものの見事にユウ達のクラスでは閑古鳥が鳴いていた。

「国松は?」

 眠い目をこすりながら、ユウは何となく一緒にいることが多い級友について尋ねてみた。すると何故か、渡部が再び苦笑いを零す。

「すっげーカワイイ子見つけたって言って、どっか行った」

「あ、そう」

 女の尻を追いかける国松の姿を容易に想像してしまったユウは渡部と同じく苦笑いを浮かべた。年がら年中彼女が欲しいとぼやいている国松にとって、他校の女生徒が自分からやって来てくれる文化祭はまたとないチャンスなのだろう。だが彼の手腕でナンパが成功する確率は極めて低いと言わざるを得ない。がっつきすぎだと言う渡部の一言が妙に国松という男に似合っていて、普段はそういった話題に乗らないユウも思わず頷いてしまった。

「とりあえず片っ端から覗いてみたけど、やっぱ小・中の文化祭とは違うな。店番終わったら小笠原も行ってこいよ」

 それなりに楽しめるからと、隣に腰を落ち着けた渡部が言う。ユウはその一言を聞いて改めて、渡部とは小・中学校と同じ学校に通っていたことを思い出した。

「小・中の文化祭ってどんな感じだったっけ?」

 小学校・中学校ともに文化祭の記憶がまるでなかったので、ユウは何気なく訊いてみた。すると渡部は呆れたような顔で振り返る。

「小学生の時は校庭でさ、何かバザーみたいなことやったじゃん。売るもん作れって言われて図工の授業で作らされたの、覚えてないか?」

「……全然」

「中学の時のも覚えてないのか? 班ごとに新聞みたいなの作らされて、体育館で演劇部の発表見させられたやつ」

 渡部がキーワードを提示してくれたので思い出そうとしてみたものの、ユウにはまったく身に覚えがなかった。演劇部の発表はおそらく寝ていたのだろうが、新聞のようなものを作った記憶がまるでない。ユウがあまりにも覚えていなかったために、渡部の方が自分の記憶を疑い出す始末であった。

「あ! いいところに!!」

 渡部が不意に声を張り上げたのでユウも彼が見ている先に視線を傾けた。立ち上がった渡部が向かった先には私服姿の男女がいて、どこかで見た顔だと思ったユウは軽く眉根を寄せる。しかしその疑問は、渡部が彼らを伴って戻って来たことにより解消された。

「小笠原ってホント、何しに学校来てるんだ?」

 呆れた顔でユウを見下ろしている私服姿の少年は名を久本といい、彼はユウや渡部と同じ中学の出身者である。級友にさえ関心が薄いユウでも、さすがに彼の顔は覚えていた。些細な出来事からサッカーの才能があると勘違いをされ、しつこいくらいにサッカー部への入部を勧められたことがあるからだ。

「いくら寝てばっかでもさ、フツウは学校行事のことくらい覚えてるもんだよな?」

「今でも寝てばっかなのか。ぜんぜん変わってないな」

 親しげに話をしている渡部と久本は通っている高校こそ違うものの共にサッカー部に所属しており、小・中学校時代はチームメートでもあっただけに仲がいい。彼らの話題が自分のことであっても気にすることなく、ユウは優しい微笑みを浮かべて久本と渡部を見守っている少女に視線を傾けた。私服姿の少女は名を貴美子といい、彼女は中学生の時からの久本の恋人である。視線に気がついたのか、貴美子は久本と渡部に向けていた笑みをそのままユウに向けてきた。

「マイちゃん達、来た?」

 貴美子が話題に上らせたのはユウの家の隣の隣に住む、倉科マイのことだった。マイと貴美子は中学生の頃からの友人である。そのことは知っていたが今日マイが来るという話は聞いていなかったのでユウは首を傾げた。

「来るんだ?」

「朝香と一緒に来るって言ってたよ」

 マイと貴美子の友人である北沢朝香とは中学三年生の時に同じクラスだったので、ユウは彼女のことも覚えていた。だがマイ達が来ると聞いても特に思うことはなかったので、ユウは「ふうん」とだけ応える。素っ気ないユウの代わりに大袈裟な反応を示したのは渡部との雑談を切り上げた久本だった。

「倉科、高校に入ってから急に色気づいちゃったんだって?」

 面白おかしいといった口調で話を振られても、ユウには返す言葉がなかった。確かにマイは高校生になってから変わったが、それはいたって自然なことなのである。そのことを茶化そうという気のないユウは話に乗らなかったのだが、久本や渡部は楽しそうにマイの話題で盛り上がっていた。

 久本と貴美子が訪れたことで一時の賑わいを見せていた教室に、廊下側から少女達の話し声が流れてきた。その声の主に覚えがあったユウは何となく、教室の出入口に視線を傾ける。すると間もなく他校の制服を着た女子生徒が二人、暖簾をくぐって室内に入って来た。現れたのは話題の主達であったが、ユウはマイの装いを見て軽く眉をひそめる。

「あ、マイちゃん。朝香」

「うわっ、キミちゃん! 久しぶり!!」

 貴美子が声をかけると驚いた顔をしたマイはチェックのスカートをなびかせながら走り寄ってきた。そのスカート丈は膝上ではあるものの、セーターに隠れてしまうほど短いものではない。さらに今日は化粧もしていないようで、マイは中学生の頃と変わらぬ様相に戻っていた。

「これのどこか色気づいたんだ?」

 久しぶりの再会を喜び合っている女子を尻目に、久本が小声で渡部に話しかけている。聞き咎めたユウがそちらに顔を傾けると、渡部は困ったように苦笑しながらユウを振り返った。

「前に見た時と違う……よな?」

 問われても答えようがなかったのでユウは無言を貫いた。ユウから返答をもらえなかった渡部は狐につままれたような表情で、幻でも見たかとぼやいている。男三人でこそこそ話をしていると、貴美子や朝香と歓談していたマイが不意に振り向いた。

「久本じゃん。久しぶり〜」

「久しぶり。倉科が色気づいたって聞いたから見に来たのに、全然変わってないな」

「うっさい! 誰がそんなこと言ったのよ」

 マイに睨まれた久本はそのまま、彼女の視線をユウと渡部がいる方へと流した。それを見た渡部はいち早く知らぬ振りを決め込み、朝香に久しぶりなどと声をかけている。あらぬ疑いをかけられてマイに睨まれることとなったユウは小さく肩を竦めた。

「ところで、何で制服?」

 今日は土曜日であり、学校行事でもなければ国公立は休みのはずである。それなのにマイと朝香が制服姿なのでユウは疑問を抱いたのであった。

「気に入ってるから」

「あ、そう」

「それより、ここ喫茶店なんでしょ? 何かないの?」

「茶菓子くらい出るんだろ?」

 マイに続き、久本までもがそんなことを言い出した。催促されたユウはどうしたものかと、クラスメートである渡部を振り返る。先程まで朝香と話をしていた渡部もすでにこちらの話に耳を傾けていたらしく、彼はユウと目が合うなり肩を竦めて見せた。

「客がこう言ってるんだし、出してやれば?」

 実情を知っている渡部までもがそう言うので、給仕であるユウはカーテンで教室の一画を仕切っただけのスタッフルームへと向かった。






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