四人分の焼き菓子と紅茶が机の上に並べられると、客人であるマイ・朝香・久本・貴美子の四人は一様に眉をひそめた。彼らの視線はそれぞれの前に置かれた紅茶には移ることなく、籠に盛られた焼き菓子にだけ注がれている。他に客もいない教室内はしばらく静まりかえっていたが、やがて顔を上げたマイが口火を切った。
「これ、何?」
マイが指差したのは一口大のメレンゲだった。それには見事な焼き色がついており、一見しただけでは正体が分からない代物となっている。ユウと渡部が黙して客人を見つめていると、やがてマイの隣に座している朝香が籠に手を伸ばした。
「クッキーは食べられそうじゃない?」
そう言ってクッキーを口に放った朝香は、直後に口元を手で覆って顔を背けた。その様子を見ていたマイが、怖いもの見たさのようにクッキーに手を伸ばす。小さく一口かじるとマイはおもむろに顔を歪めた。
「まずっ!!」
「ああ、やっぱり」
マイの正直な言葉に、思わずといった調子で渡部も正直な反応を返す。一口かじったクッキーをさりげなく籠に戻しながら、マイは呆れ顔で渡部を見上げた。
「まずいって分かってるなら出さないでよ。何これ? どうしたらこんな味になるの?」
「どんな味がするの?」
元調理部の部長である貴美子が興味を引かれた様子で容喙する。マイは貴美子の方へ顔を傾け、「油と砂糖をそのまま食べている感じ」だと説明した。
「ゲテモノだな」
マイの感想を聞いて手を伸ばす気も失せたらしく、苦笑いをしている久本は紅茶を口に運んだ。茶はフツウだという久本の発言を受け、彼らは一斉にカップを手に取る。そうして一息ついた後、マイがやや不服そうな表情をしてユウを見上げてきた。
「前にクッキーの作り方教えたじゃん。それが何で、こんなことになるの?」
中学二年生の時のホワイトデーに、ユウはマイに教えてもらって初めてのお菓子作りを経験した。だがあの時はほとんどの作業をマイがしてくれたうえ、あれきり一度も作っていないのである。そのような状態で作り方を覚えている方が奇特だが、ユウにはそれ以前の言い分があった。
「俺、作ってないから」
学校行事に関心の薄いユウは放課後に残って作業をすることなどほとんどなく、文化祭の出店に関してもほぼノータッチだった。そしてそれは、放課後は部活動に勤しんでいる渡部も同じである。
「この出来上がり見て、俺たちも驚いたよな」
「というか、オレは小笠原がお菓子作りするって方が驚きだけど」
渡部の弁解に続き、久本が驚きの声を上げた。彼の一言により、その場の視線はユウに集中する。そしてユウに顔を傾けたのは彼の同窓生だけではなかった。
「何!? 小笠原、出来るのか!?」
「それならそうと早く言えよ! 調理室に明日の分の材料があるから、頼むな」
「店番は俺たちに任せとけ。安心して行っていいぞ」
閑古鳥の鳴く教室内で暇を持て余していたクラスメート達に詰め寄られ、ユウは彼らの迫力に押されて身を引いた。だが「えっ?」と思う間もなく、半ば強引に背を押される。そうして教室から追い出されたユウは呆然としたまま背後を振り返った。すると何故か、店番でもない渡部までもが廊下に押し出されてくる。戸口にしっかりと陣取って後戻りは許さないと態度で示しているクラスメートの一人が、あ然としているユウと渡部に手を振って見せながらこう言った。
「準備期間に何もしなかったんだから今日くらい頑張れ」
笑顔で放たれた一言は痛烈な皮肉であり、本当に何もしていなかったユウと渡部には反論の余地がなかった。もう教室にも戻れそうになかったので、ユウと渡部は仕方なく調理室に向かって歩き出す。一階の隅にある調理室は模擬店のエリアからも外れているため、二人が辿り着いたその場所は校舎の熱気に反して冷え冷えとしていた。
「小笠原、クッキーってどうやって作るんだ?」
「忘れた」
「……マジで?」
材料を探してあちこちの扉を開いていた渡部が、ユウの返答に凍りついた。顔を強張らせられても忘れたものは思い出せないと、ユウは小さく首を振る。ユウの反応を見た渡部は弱ったように頭を掻いた。
「まいったな……。あの調子じゃ、まともなもん作っていかなかったら何されるか分からないぞ」
「マイに聞けば、たぶん分かる」
「あ、そうか。その手があったか」
それまで眉根を寄せていた渡部も眉間の皺を解いて手を打った。さっそく教室へ戻ろうという話になったのだが、彼らが行動を起こすよりも先に調理室の扉が開かれる。戸口に姿を現したのが話題の主だったので、渡部がさっそく傍へ寄った。
「クッキーの作り方教えてくれ」
渡部が拝むようにして頼みこむと、調理室に現れたマイと朝香はあっさり頷いて見せた。彼女達はどうせ出来ないだろうと思い、ユウ達の後を追って来たのだという。その話を聞いた渡部が何かを思い出したかのような表情で朝香を振り返った。
「そういや、北沢は調理部だったか」
「小・中とね。クッキーくらいなら本がなくても作れるから、任せてよ」
「おー、頼もしいな」
渡部と朝香が話し始めてしまったので、ユウは彼らの様子を無言で眺めているマイに視線を移した。
「久本たちは?」
「もうちょっと見て回ってから帰るって。それよりユウ、クッキーの作り方覚えてる?」
「全然」
「……やっぱり」
ユウの答えはすでに予測されていたようで、マイは呆れたような顔をしてため息をついた。彼女のそういった仕種を見るのが久しぶりのような気がしたユウは、知らずのうちにマイの顔を凝視する。しかしユウの視線が持つ意味には気がつかなかったようで、マイは早々と行動を開始した。
「楽だし、アイスボックスでいいよね?」
「マイ、ココアパウダーがある」
「じゃあマーブルとか、ハート型とか作れるね。卵とバターもけっこう量あるよ」
冷蔵庫を漁っているマイと片っ端から棚を開けている朝香はお互いに背中で会話をしながら手を動かしている。その手際の良さに口を挟む隙はなく、ユウと渡部は邪魔にならないよう少し離れた場所から作業の様子を見守っていた。
「俺たちの出番、なさそうだな」
その方が楽でいいと、渡部が小声で言う。しかしユウに向けられたその囁きはしっかりと聞き咎められ、マイと朝香が同時に顔を上げた。
「何言ってんの? 作るのは渡部と小笠原くんでしょ?」
「どうせならクッキー以外も作ろうよ。そうすると少し材料足りないから、ユウ、買い物付き合ってよ」
その間にクッキーの仕込みをお願いと朝香に言い置き、マイは強引にユウの腕を引いた。引きずられる形でユウは調理室を後にしたのだが廊下へ出てすぐ、マイは歩みを止める。何故か調理室を振り返っているマイの様子は不審であり、ユウは眉根を寄せた。
「何してんの?」
「んー、何でもない」
後にしてきた調理室を気にしていたマイは曖昧な笑みを浮かべながら振り向いたが、その表情自体がすでに怪しい。だが何でもないと言われてなお問い詰めるほど好奇心が旺盛ではないユウは、無感動に気にしないことをマイに伝えただけだった。
Copyright(c) 2009 sadaka all rights reserved.