Loose Knot

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はじまりの季節


 水が温み、色とりどりの花が春の訪れを告げる爛漫な四月、校舎四階にある一年生の教室の窓からは学校の敷地内に植えられている桜が鮮やかな花を咲かせている姿を窺うことが出来た。春の嵐という言葉があるように春の天気は変わりやすいが、今年の桜はまだ嵐に出遭っていない。また昼間の気温があまり上がらなかったため、息の長い花を咲かせていた。

 春風が吹けば薄紅色の花弁が宙に舞い、桜吹雪が美しい。入学式を終えたばかりの新入生が集う教室では初々しい談笑の声が溢れていたが、小笠原ユウは会話に参加することもなく窓辺に佇んで桜を眺めていた。窓から差し込む春の日差しは暖かで、心地よい眠りを誘う。しかし入学したてで出席番号順になっているユウの席は、残念なことに日差しの届かない冷えた廊下側だった。

「小笠原?」

 誰かの窺うような声がしたので、ユウは窓を背に教室を振り向いた。ユウの通う花郷はなさと大学付属高校は男子校なので、教室内には男子しかいない。声をかけてきたのももちろん男子生徒だが、彼の顔には見覚えがなかった。しかし彼はユウを認めた様子で親しげな笑みを浮かべる。

「やっぱり、小笠原。お前もここだったんだ?」

「……誰だっけ?」

 何故か嬉しそうな笑顔を見せていた男子生徒はユウの一言でがっくりと肩を落とした。体勢を立て直した後、彼は肩を竦めながら苦笑いを浮かべる。

「同じクラスになったことはないけどさ、同じ中学だったんだから覚えててくれてもいいのに」

 彼はそう言って嘆いたが同じクラスになった者の顔も半分以上覚えていないユウにとって彼が誰であるかを思い出すのは至難の業である。いちおう記憶を探ってみたものの、やはり思い出せなかったユウは正直にそのことを白状した。すると彼は仕方なさそうに自己紹介をする。

「サッカー部の渡部だよ。久本が無理矢理部室に連れて来た時に会っただろ?」

「ああ……サッカー部の」

 名前を聞いても渡部の顔は記憶になかったが、サッカー部の見学に半強制的に参加させられたことは覚えていたのでユウは頷いて見せた。ようやく話が通じたので渡部はホッとしたような表情をしている。ちょうど話題に上っていたので、ユウは同じ中学出身の久本について尋ねてみた。

「久本も花郷に来てるのか?」

「いや、あいつは公立に行った。本当は久本も花郷に来たかったんだけど、推薦枠がなかったんだよな」

 花郷大学付属高校のサッカー部は強豪である。サッカーに情熱を注いでいる渡部や久本にとって花郷大学付属高校は男子校であろうとも入学したい高校だった。だがスポーツ推薦枠は狭き門であり、渡部が選ばれて久本は落選してしまった。一般受験をするには偏差値が高すぎたため、久本はきっぱり花郷を諦めたのである。

「で、彼女と同じ高校行った。まあ、どこに行ってもサッカー部はあるだろうからな」

 渡部の話を感慨もなく聞いていたユウは、久本の彼女から連想して近所に住む少女の姿を思い浮かべた。久本の彼女である貴美子は、ユウの家の隣の隣に住む倉科マイの友人なのである。

「なんだよ、渡部。彼女の話か?」

 ユウと渡部が話をしていた窓辺に、教室内で談笑していた一人の男子生徒が近付いて来た。渡部と知り合いらしく、彼らは親しそうに話をしている。

「俺の彼女じゃねーよ。久本の彼女の話」

「ああ、キミコちゃんね。あの二人、同じ学校行ったんだろ?」

「そうそう。あいつが一年以上彼女変えないのって初めてだよ」

 それまでは大抵二ヶ月くらいしか持たなかったのにと、渡部が言う。久本に遊び人のイメージがなかったので意外と言えば意外だったが、他人の色恋沙汰には興味があまりなかったのでユウは黙って聞き手に回っていた。久本の話が一段落したところで、渡部が改めてユウを見る。

「こいつ、国松光喜。略してクニコ」

「おい、いいかげんその呼び方やめろよ」

「いいじゃねーか。昔からそう呼んでるんだから」

「お前ウザイよ」

 国松にうざいと言われても渡部は気にした素振りもなく笑っている。対する国松も『クニコ』という呼び方は不満らしいが、諦めが入っているのか怒っているような様子はない。彼らは昔から付き合いのある、気心の知れた友人なのだろうとユウは思った。

「こっちは小笠原。同じ中学だったんだ」

 今度は国松に向かって、渡部がユウを紹介する。国松は人好きのする笑みを浮かべて「よろしく」と言った。同じクラスになった誼で仲良くしようやと渡部が言うのでユウは軽く頭を下げる。

「国松もサッカー部?」

 ユウが問うと国松と渡部が同時に頷いた。それから彼らは懐かしそうな表情を浮かべる。

「小学生の時、同じ少年サッカーのチームでプレイしてたんだ。中学も近かったからよく練習試合したよな」

「そのせいで久しぶりって感じしないよな」

 国松の一言に、渡部も同感だという風に頷いている。渡部と同じく国松も、サッカーをするために花郷へ来たのだろう。

「しっかし色気のねえ教室だよな。わかっちゃいたけど華がない」

 窓に背を預けた国松が男ばかりの教室を眺めながら嘆いた。口にはしなかったものの渡部も同意見らしく苦笑いを浮かべている。教室内に女子がいようといなかろうと関係がないユウは否定も肯定もしなかった。ユウがあまりに反応を示さないので国松が不可解そうな顔をする。

「小笠原って無口?」

 自分では判断しかねる問いを投げかけられたのでユウは渡部を仰いだ。ユウの視線を辿った国松も渡部を見たので、二人の視線を引き受けた渡部は苦笑する。

「俺を見るなよ」

 同じ中学の出身ではあっても、ユウと渡部がまともに会話をしたのは今日が初めてと言っていい。そうした話を渡部から聞いた国松気のない相槌を打った。

「花郷はクラス変えないらしいし、何はともあれ三年間よろしくな」

「ああ……こちらこそ」

 国松が気軽に言うのでユウも気楽な調子で応じた。春の陽気にも負けない緩やかな空気が漂う中、教師が姿を現したので少年達は散会する。一番廊下側の席に戻ったユウは窓際を振り向き、窓際の一番後ろの席にいる渡部を羨ましいと思ったのだった。






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