Loose Knot

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はじまりの季節


 高校生活第一日目を難もなく終えたユウは校庭でサッカーしようぜという渡部達の誘いを断り、一人で帰路を辿っていた。徒歩で通っていた中学時代とは異なり、高校は電車通学である。駅からバスに乗れば最寄りのバス停まで十分だが、歩いても二十分ほどなのでユウは春色に包まれている街をのんびりと歩いていた。

 帰宅途中にある川原には桜並木があって、橋の上から見下ろすいつもの風景が鮮やかに色づいていた。だが空は生憎の花曇りになっていて、頬をすぎていく風も湿気を含んでいる。嵐が来るかもしれないと思ったユウは散ってしまう前に桜を愛でておこうと思い、帰路を外れて川原へ下りた。遊歩道にはいつにも増して人出があり、公園も花見客で賑わっている。華やかな春を心地よく感じていたユウはふと、公園の片隅にあるベンチに腰を下ろしている制服姿の少女達に目を留めて立ち止まった。

「あっ、ユウ!」

 こちらに気付いた少女のうちの一人が声を上げる。手招きをされたので、ユウは見知った少女達の傍へ寄った。

「うわぁ、学ランなんだ。なんか新鮮」

 中学時代はブレザーだったので学ランが珍しいらしく、倉科マイはじろじろと視線を走らせる。マイがあまりにも見るのでユウは少し嫌な表情を作った。

「じろじろ見るなよ」

「いいじゃん、珍しいんだから」

 ユウとマイがそんな話をしていると、マイの隣に腰を下ろしていた少女が立ち上がった。

「マイ、先帰るね」

「うん、また明日〜」

「バイバイ」

 マイと短く会話した後、彼女はユウにも手を振って去って行った。中学三年生で同じクラスになった彼女の顔はさすがに覚えていたので、ユウも軽く手を振り返して北沢朝香を見送った。

「北沢さんと同じ学校なんだ?」

 マイも朝香も青いチェックのスカートを履いていた。それがマイの通う霞ヶ原高校の制服であることを知っていたので、ユウは何気なく話を振ったのである。マイと朝香は小学生の頃から親しくしているので、仲がいいなと思いながら。

「うん。霞ヶ原の制服、可愛いでしょ?」

 リボンじゃなくてネクタイなのがいいよねと、マイは自慢げに制服を見せびらかす。マイを見たユウは悪くないと思ったが頷くだけに留めておいた。

「ユウは? 誰か同じ中学の人いた?」

 腰を浮かす様子もなくマイが話しかけてくるのでユウは彼女の隣に腰を落ち着けてから答えた。

「サッカー部の渡部って奴が同じクラスだった。あとは、たぶんいない」

「……渡部くん?」

 ユウが口にした名に、何故かマイは過剰な反応を示した。マイが眉根を寄せているのを見たユウは首を傾げる。

「何?」

「あ、いや、何でもない。そっか、ユウは花郷だもんね」

 マイが一人で頷いているので意味を汲めなかったユウは軽く眉をひそめる。

「知り合い?」

「うーん、私が知り合いっていうよりは朝香が……って、渡部くん私達と小学校から一緒じゃん」

「……そうなのか?」

 渡部をまったく覚えていなかったユウは小学校から同じと聞いて軽い衝撃を受けた。渡部自身はそのことに触れなかったが、六年以上同じ学校にいた人物を覚えていなかったというのもすごい。ユウ自身でさえそう思ってしまったのだから、渡部はそうとう呆れていたことだろう。

「もしかしてユウ、渡部くんのこと知らなかった?」

 まったく接点がなかったわけでもないが、説明するのが面倒だったのでユウは苦笑いで誤魔化した。その態度を肯定と受け取ったようでマイは呆れ顔でため息をつく。

「ユウさぁ、ぼんやりしすぎだよ。あんまり寝てばっかいるとダメだよ?」

 ユウの楽しみは惰眠を貪ることである。受験の時期はさすがに趣味を封印していたが高校生となった今、再び自由な時間が増えた。そのため元ののんびりとした生活リズムを取り戻したいと考えていたユウはマイに思考を先読みされたような気がして眉根を寄せながら答える。

「まだ教室では寝てない」

「これから寝る気まんまんじゃん。渡部くんに起こしてくれるよう頼まないと」

「自分で起きられるって」

「そんなこと言って、一回寝ると起きないくせに」

 マイの言っていることは正しいのでユウは閉口した。確かに、一度深い眠りに落ちてしまうと周囲がどんなに騒がしくても起きないことがある。そのせいで倉科家と合同で行った卒業旅行では顔に落書きまでされたのだ。

「ユウ、そろそろ帰ろうか。雨降りそうだよ」

 ふと空を仰いだマイが曇天を見つめながら言った。つられてユウも、空を見上げる。四月の空は先程より雲が厚くなっていて、マイの言うように雨が降り出しそうだった。

 マイが鞄を手にして立ち上がったのでユウも腰を上げた。川原にある公園から遊歩道へ上った二人はどちらからともなく歩き出す。家が隣の隣なので同じ方向へ帰ることは自然なのだがユウはふと、隣にマイがいることがいつの間にか当たり前になっていることに思い至った。

 ユウがマイの家の隣の隣へ越してきたのは小学三年生の時のことである。それから小学校、中学校と同じ学校に通うことになったのだが、家が近いからといって特別親しくしていたわけではない。子供よりもむしろ両家の両親の方が仲がいいというくらいだった。そのマイが急に話しかけてくるようになったのは中学二年生の夏以降のことだ。中学二年生の夏にちょっとした出来事があり、それから次第に顔を合わせれば話をするのが当たり前になっていった。今では伺いを立てることもなく、自然と隣に座ることが出来る。それほど気軽な存在は他になく、ユウはマイの貴重さに改めて気がついた。

「なんか、いいな」

「え? 何が?」

 思わず零れた呟きを聞きつけたマイが振り向いたのでユウは花曇りの空を仰いだ。晴れない空と彼らの間には、満開の桜が咲き誇っている。

「桜。青空の下で見るのもいいけど、曇り空っていうのもいい」

「あー、確かに新しい感じがするかも。うん、たまにはこういうのもいいかもね」

 曇り空に咲く桜を見上げているマイのスカートが、春風に揺れている。交わす言葉も距離も中学時代と何一つ変わっていないが、ユウとマイはすでに別々の道を歩み始めているのだ。だがまだ、今ははじまりの季節。これから何かが変わっていくのかと思うと不思議な気持ちになり、ユウはマイの横顔を何となく見つめていた。






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