Loose Knot

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雨の日の小さな嘘


 じっとりと湿った空気と連日の雨が気分を滅入らせる梅雨時、授業が終わったので帰ろうと思い席を立った小笠原ユウは級友に声をかけられて動きを止めた。窓際の席から一番廊下側にあるユウの席まで急ぎ足でやって来たのは、クラスメートの渡部である。平素であれば授業が終わるとすぐに姿を消す彼が未だ制服姿でいることを珍しく思ったユウは首を傾げながら渡部を迎えた。

「何?」

「今日部活なくなったんだ。たまにはどっか寄って帰らねえ?」

 そんなことを言い出した渡部はサッカー部に所属しており、放課後を部活動で消費しているためユウと帰りが同じになることは珍しい。いつもなら最後の授業が終わると同時に着替え出す彼が制服姿でいる理由に納得したユウは何気なく頷いた。それは返事ではなかったのだが、了承と受け取った渡部は爽やかな笑みを浮かべた。

「おっ、今日は珍しくノリがいいじゃん。クニコが戻って来たら行こうぜ」

 渡部の言う『クニコ』とは、国松光喜というクラスメートのあだ名である。寄り道に付き合うのは正直なところ面倒だったが、渡部が嬉しそうにしているのでユウは本音を胸にしまいこんだ。代わりに、話題に上った友人について尋ねてみる。

「国松は?」

 彼も同じクラスなのだが今は姿が見えない。いつの間に姿を消したのだとユウが訝っていると渡部が説明を加えた。

「隣のクラスに行ってる。あ、戻って来た」

 渡部が教室の後ろの方を指したのでユウも背後を振り返った。前後にある扉のうち後ろの扉から教室に入って来た国松はユウと渡部が並んでいるのを見て近寄って来る。渡部がどこかに寄って帰ろうと誘うと、国松は迷うことなく頷いた。

「しっかし、小笠原がオッケー出すなんて珍しいな。雨でも降らなきゃいいけど」

 揃って教室を出た後、階段を下りながら国松が軽口を言う。本当は付き合う気がなかったユウは小さくため息をつき、手にしている傘を掲げて見せた。

「雨降ってきても国松は入れてやらない」

「じゃあ雨降ってきたら俺と相合傘しようぜ。ちょうどカサ持ってきてなかったんだよな」

 踊り場の窓から見える曇天を一瞥して確認した渡部がユウの仕返しに同乗する。鞄しか持っていない国松も折り畳み傘など持っていないらしく、彼は哀れっぽい声を上げた。

「ひでえ。俺だけ濡れて帰れってか?」

「三人は無理だろ。犠牲になってくれ、クニコ」

 男二人で相合傘などしたくなかったユウは渡部を入れてやる気もなかったが、国松が喚いているので口を挟まないでおいた。冗談は抜きにしても本当に雨が降り出しそうだったので、三人は足早に校舎を後にする。だが駅までの道のりを辿っている途中に雨が降り出してしまった。

「うわっ、降ってきた!」

「小笠原、先行ってる。この先のゲーセンな」

 傘を持たない国松と渡部はサッカー部の脚力を駆使し、雨中を走り去って行った。行き先は告げられているので傘を持っているユウは一人、のんびりと彼らの後を追う。学校からほど近い繁華街に進入した後、ユウは目的地のアミューズメント施設を目指した。そこは一階がゲームセンター、二階から四階がカラオケ、それより上はボーリング場やビリヤード場となっている総合型の遊び場である。渡部と国松はゲームセンターの入口付近にいて、雨に濡れた髪をタオルで拭っていた。ちょうど屋根のようになっているビルの入口付近では雨宿りをしている人達が集まっていて一様に空を仰いでいる。

「余裕の登場だな」

 傘をさしてやって来たユウを見て、国松がぽつりと嫌味を零す。だがその程度の悪言は毎度のことなのでユウは気にせず彼らの傍へ寄り、傘を畳んだ。

「あ、霞ヶ原の制服だ」

 部活用に持って来たであろう長いタオルを頭に巻いた渡部があらぬ方向を見ながら独白する。霞ヶ原高校の名前に反応したユウと国松も渡部の視線の先を辿った。ユウ達がいるビルの入口からは少し離れたところにチェックのスカートを履いた少女が佇んでいる。彼女も例に漏れず曇天を見上げており、雨宿りをしているのは一目瞭然だ。霞ヶ原高校の女生徒の制服は近隣の男子高生の間では人気が高く、国松が小声である提案をする。

「ナンパする?」

「やめとけよ、みっともない」

 渡部が呆れたように言うと国松はわざとらしく肩を竦めて首を振った。

「彼女持ちはよゆーだね。俺たちはこんな機会でもなきゃ出会いの場なんかないの」

 国松に同意を求められたもののユウは反応を返さなかった。ユウが興味を示さなかったので国松はサッと顔色を変える。

「まさか……小笠原も彼女持ち?」

「いや、いないけど」

「だったら霞ヶ原の女の子と知り合いになりたいだろ?」

「別に。それに、霞ヶ原に知り合いいるし」

「マジ? 女?」

「そうだけど」

「紹介して」

「……やだ」

 ユウがあっさり断ると国松は人目も憚らず騒ぎ出した。雨宿りをしている人々が何事かと視線を送ってくるのを察してユウと渡部は苦笑いを浮かべる。国松から視線を外して何気なく泳がせたユウは、件の少女と目が合った。その途端、こちらを見ていた少女が「やばい」という具合に顔を背ける。一瞬見えた顔が知った人物のものだったように思ったユウは眉根を寄せながら歩き出した。

 先程まで視線を送ってきていた霞ヶ原高校の女生徒は顔を背けたまま、決して戻そうとしない。意図的に目を合わせないようにしている少女の横顔がやはり知った人物のものだったのでユウは怪訝に思いながら声をかけた。

「マイ?」

 倉科マイはユウの家の隣の隣に住む、いわゆる「幼馴染み」である。彼女とは四月に会って以来だったが、春に見た時とは随分と印象が変わっている。それは短くなっているスカート丈やアクセサリー、果ては化粧のせいなのだと、振り向いたマイを見てユウは思った。

「久しぶりー……」

 ぎこちない笑みを作ったマイの顔が、ユウには困っているように見えた。自分の知っているマイとは別人のようだと思ったユウは違和感を覚えながらも話しかける。

「またカサ持って出なかったのか」

「あー、うん」

 歯切れの悪い返事を寄越したマイは苦笑いを浮かべた。マイが天気予報を見ないのは昔からである。そのことを知っているのでユウは呆れたが、内心ではマイが変わっていないので少しホッとしてもいた。

「カサ、入ってく?」

 まだ水滴が滴っている傘を持ち上げて見せるとマイは驚いたように瞠目した。それから少し、嫌そうな表情をする。

「いいよ、待ち合わせしてるから。ユウだって友達と一緒なんでしょ?」

 拒絶されるとは思ってもいなかったユウは呆気に取られて目を瞬かせた。マイは気まずそうに視線を逸らし、俯いてしまう。その態度から、ユウは待ち合わせが嘘であることを察してしまった。

 すぐに分かるような嘘をつかれたことにムッとしたユウは無言で傘を突き出した。マイが困惑を露にして顔を上げたが、ユウは何も言わずに傘を押し付ける。マイの手に傘が渡った直後、ユウは別れの言葉も口にせずに踵を返した。

「行こう」

 渡部と国松の元へ戻ったユウは足を止めずに言い、二人の返事も聞かずにビルの中へと進入する。呆気に取られていた渡部と国松はユウが振り返らなかったので急いで後を追ったのだった。






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