二月のとある金曜日、人気のない放課後の教室では三人の少女が輪になって座っていた。暖房のついていない校内は窓を閉め切っていても寒く、外はまだ明るいが日差しは差し込んでこない。建物内でもコートとマフラーでしっかりと防寒している彼女達は中学三年生であり、話題の中心は間近に迫った受験一色であった。
「もうすぐだね。早く終わんないかなぁ」
友人の朝香が独り言のように嘆いたので、倉科マイは同調して深く頷いた。朝香と同じく友人の貴美子も苦笑いを浮かべている。すでに進路が決まっている推薦組ではないマイ達の心は同じであり、皆早くプレッシャーから解放されたいと願っていた。
「そういえばキミちゃん、久本と同じ学校受けるんだっけ?」
久本というのは貴美子の彼氏である。三年生に進級する前に念願叶って両思いになった彼女達の付き合いは順調のようで、貴美子はマイに華やかな笑みを向けた。
「うん。ずっと言い出せなかったんだけど、久本くんから一緒の学校行こうって言ってくれたから」
受験生だというのに貴美子が幸せそうな顔をして惚気るのでマイと朝香は顔を見合わせた。
「久本くんってそういうタイプだったっけ?」
「同じクラスになってからずっと見てきたけど、ああ見えてものっすごい彼女大事にするタイプだよ。誕生日とか記念日とかちゃんと覚えてるし、いつもキミちゃんのこと考えてるもん」
朝香の問いかけに対し、三年生で同じクラスになってから毎日ラブラブぶりを目撃してきたマイは力説してみせる。マイの言葉は彼女である貴美子が惚気る以上に熱がこもっていたので朝香が呆れた顔をした。呆れられてもマイは気にせず、恥ずかしそうにしている貴美子に声をかける。
「久本ってノリで生きてるから最初は不安だったけど、今はキミちゃんとうまくいって良かったなぁって思うよ。同じ高校、行けるといいね」
「うん。ありがと、マイちゃん」
マイは彼らにとってキューピッド的な存在なので貴美子の言葉には傍目にも感じられるほどの実感がこもっていた。朝香も成り行きを知っているのでマイに足向けて寝られないねと茶化す。するとそこへ、噂の主が姿を現した。
「久本くん」
貴美子が嬉しそうな声を上げて席を立ち、教室のドアの所にいる久本に駆け寄る。久本は驚いたような表情で貴美子を迎えた。
「待っててくれたのか? 先、帰ってても良かったのに」
「うん。一緒に帰りたかったから」
カップルらしい会話が聞こえてきたので貴美子に付き合って久本を待っていたマイと朝香はそそくさと席を立つ。二人の邪魔をするほど野暮ではないマイと朝香は短く別れを告げ、先に教室を出た。
「あーあ、貴美子はいいよね。うらやましい」
鞄を肩に担いだ朝香が気怠そうに零したのでマイは顔を傾けた。
「高校行ったら彼氏つくればいいじゃん」
「そんなカンタンじゃないの。彼氏にしたい人が同じ学校にいないのに、どうやって彼氏つくれって?」
「……それって」
言いかけて、マイは口をつぐんだ。朝香が誰のことを言っているのか、分かってしまったから。
マイと朝香は小学校からの付き合いなので知っているのだが、朝香は小学生の時から一人の男の子を思い続けてきた。だが中学二年のバレンタインデー、朝香はその男の子に告白して見事玉砕してしまったのである。それ以来、朝香の口から彼の名前が出てくることはなくなった。だからマイは諦めたのだと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「気、遣わなくていいよ。きっぱりフラれたのに好きなんてバカみたいでしょ?」
「……まだ好きだったんだね」
どう答えたらいいのか分からなかったマイは苦虫を噛み潰したような表情をした。横からマイの顔を覗き込んだ朝香も苦笑する。
「彼女がいるって言われたらねー、諦めないわけにはいかないんだけど。別れないかなぁ」
「ちょ、それは怖いよ」
朝香が物騒な発言をしたのでマイはギョッとした。そんなことを思うまで他人を好きになったことのないマイには分からなかったが朝香は本気でそう思っているようである。幸せそうな貴美子とどうしても比べてしまい、マイは苦笑いを零した。
「朝香も霞ヶ原受けるんでしょ? もしかして渡部くんも?」
「違うって。同じ学校行けるなら死ぬ気で勉強するけど、努力しようもないんだよ」
「……どういうこと?」
「渡部の志望校、男子校なんだよね」
「あ、なるほど」
朝香の方には彼を追って行く気概があったようだが、男子校ではどうしようもない。だから朝香は無駄な努力をせず、自分の偏差値に見合った霞ヶ原高校を受験しようというのだ。同じ霞ヶ原高校を受験するのにギリギリのところで頑張っているマイは朝香の話を聞いて複雑な気分になった。
「こうなったら霞ヶ原の制服着て学祭に行くしかないよね。マイ、霞ヶ原に受かって一緒に行こう」
霞ヶ原高校の制服は女子に人気の高い、可愛いデザインなのである。霞ヶ原高校の制服は着ているだけで箔が付くので、朝香はそれを狙っているようだ。妙な励ましを受けたマイは渇いた笑みを浮かべた。
「あっ、急がないと」
ふと腕時計に目をやったマイは時間が迫っていることに気がついて歩調を速めた。朝香もマイの速度に合わせながら問いを投げかける。
「塾?」
「うん、今日は九時までなんだよね」
「……頑張れ、マイ」
さほど頑張らずとも余裕の朝香はマイの肩を叩いてから速度を落とした。マイは朝香に苦笑を返し、速度を緩めることなく昇降口に向かう。一人で校舎を出たマイは凍てつく寒さの中を小走りで家に向かったのだった。
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