Loose Knot

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彼女の真実


 十月の中旬に文化祭が終わり、イベント事が何もない十一月がやってきた。この頃になると朝晩はめっきり冷え込むが、日差しが届けば日中はまだ暖かい。しかし本日は朝から生憎の曇り空であり、気温も二桁に達していなかった。風も強いので、外では色づいた葉が舞っていることだろう。

「ヒマ」

 自習となった五時間目、前の席で横座りをしている少年が唐突に声を発したので小笠原ユウはプリントから目を上げた。自席ではないユウの前の席に陣取り、机に肩肘を突いて気怠そうにしているのはクラスメートの国松である。そして国松と同じく、自席ではないユウの横の席に座っている渡部が彼の独白に応えた。

「確かにヒマだな」

 配られたプリントをとっくに終えている渡部はシャープペンシルを器用に指で回しながら退屈を凌いでいた。だが渡部の発言は本意と噛み合っていなかったようで、国松が「そうじゃなくて」と言葉を続ける。

「文化祭も終わったし、今月はイベントが何もないだろ? その『ヒマ』だって」

 毎月文化祭ならいいのにと国松が言い出したので渡部が苦笑いを零した。渡部と国松がそのまま話を始めてしまったので、プリントに目を落としながら半分寝ていたユウは今日中に課題を提出することを諦めて彼らの会話に耳を傾ける。彼らはしばらく二日目は・・・・大盛況だった文化祭の模擬店について話をしていたが、渡部の一言が発端となって話題はガラッと変わった。

「そういえばクニコ、文化祭で見つけたカワイイ子とは、その後どうなったんだ?」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに国松は制服のポケットから携帯電話を取り出した。二つ折りの携帯電話を開き、何かの操作をして、それから国松は渡部の眼前にディスプレイを突きつける。

「見ろ。俺がちょっと本気を出せばこんなもんだ」

 得意顔で胸を張っている国松が渡部に何を見せているのか、ユウの位置からでは見ることが出来なかった。だが彼らの会話から察するに、おそらく『カワイイ子』の写真でも見せているのだろう。身を乗り出して見るほどの関心もなかったので、ユウは一つあくびをした。

「国松ー、ちょっと来いよ!」

 窓際から不意に呼び声が上がり、国松は席を立ってそちらへ行ってしまった。だが携帯電話は回収していかなかったので、それはまだ渡部の手にある。何故か眉根を寄せて携帯電話のディスプレイを凝視していた渡部は、やがてユウを仰いだ。

「なあ、小笠原」

「何?」

「これ……」

 言葉を濁しながら渡部が携帯電話を差し出してきたのでユウは首を傾げたついでにディスプレイを覗き込んだ。するとそこには見知った者の姿があり、ユウもまた眉根を寄せる。

「やっぱり松丸、だよな?」

 渡部に同意を求められたものの、携帯電話の小さな写真だけでは何とも言えないと思ったユウは否定も肯定もしなかった。だが仲睦まじく国松とのツーショットで映っている茶髪の少女は、確かに中学時代の同窓生に似ている。

 松丸という少女はユウや渡部と同じ中学に通っていた者であり、中学生の当時から美少女と評判だった。そして噂の美少女は、何故かユウに好意を寄せていたのである。まさか別々の高校へ進学してなお彼女の話題に至るとは思いも寄らず、ユウは小さく首を振った。

「もう、関係ない」

「昔好きだった女をあの国松に取られてもか?」

 俺だったら耐えられないと、渡部は沈痛な面持ちになって言う。渡部との間に妙なズレを感じたユウは眉をひそめたが、中学時代に自分がやったことを思い出してすぐに納得した。

 中学二年の冬、ユウは松丸からバレンタインのチョコレートをもらった。それが本命チョコであるとは露知らず、ホワイトデーには近所に住む倉科マイにクッキーの作り方を教わって、気もないのに手作りのお返しまでしてしまったのである。その時に直接的な告白を受けて、ユウは初めて彼女が本気であったことを知った。思わせぶりなことをしてしまったが故に断りにくく、ユウはせめてもの罪滅ぼしにと自分がフラれたという噂をばら撒いたのだ。その噂を真に受けた渡部は、未だにユウの方が松丸を好きだったと思っているのだろう。それでもわざわざ否定するようなことでもなかったので、ユウは渡部を誤解させたまま話を続けることにした。

「彼女がそれでいいなら、いいんじゃないか?」

「……小笠原って意外と大人なんだな」

 そんな呟きを零しながら携帯電話を畳んでいる渡部は、別れたという恋人にまだ未練があるのかもしれない。国松に別れたと告げていた時には非常に淡白だったので、ユウは少し意外に思った。

「耐えられないって、国松限定?」

「クニコじゃなくてもさ、昔好きだった女が友達の彼女になってるって複雑な気持ちにならないか?」

 クニコだったら余計に嫌だけどと、渡部はしっかり付け加える。その口調に妙な力が入っていたのでユウは笑ってしまった。それきり会話は途絶えてしまったが、やがて渡部がユウから視線を外したまま口火を切る。

「なあ、小笠原。倉科から何か聞いたか?」

 渡部の発言には脈絡がなかったのでユウは首を傾げながら話に応じた。

「何かって何?」

「いや、聞いてないなら別にいいんだけど」

 自分から話を振っておきながら、渡部は曖昧に笑って閉口する。ユウはしばらく考えこんでいたが、文化祭での出来事を思い出して一人で納得した。おそらく渡部が言いたいのは北沢朝香という少女のことだろう。

 渡部と朝香の事情は聞く気もなく聞かされた。だが特に口出しすべきことでもなかったのでユウは口を開かないままでいた。ユウが突っ込まないことに痺れを切らしたのか、やがて渡部の方から再度口火を切る。

「頷いてるところを見ると、知ってそうだな?」

「たぶん、知ってる」

「知ってても何も聞かないんだな」

「聞いて欲しいなら聞くけど?」

「……いや、いいや」

 渡部の意思に従い、ユウはただ頷いた。ユウの顔色には好奇の色というものがまったく滲んでおらず、それを見た渡部は複雑な表情で嘆息する。

「その無関心っぷりが小笠原だよな」

 褒められたのか貶されたのか、よく分からなかったユウは軽く眉をひそめた。渡部は寂しさと安堵が同居したような表情でふっと口元を緩める。

「そのうち、耐えらんなくなったら泣きごと言うかもしんない。そしたら聞いてくれよ」

「いいけど、アドバイスとかは出来ないから」

「小笠原にアドバイスなんか期待してないって」

 何かがおかしかったようで渡部は軽快な笑い声を立てている。またしても頼りにされたのか貶されたのか分からなかったユウは先程より少し深く、眉間に皺を寄せた。






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