Loose Knot

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彼女の真実


 電車を下りると、この時期らしく冷たい風が頬を過ぎていった。寒いのでバスで帰ろうと思ったユウは一度停留所へ足を運び、時間を確認してから駅の方へと引き返す。停留所の付近から階段を下り、地下へ潜ったユウはそのまま駅に直結しているビルの中へと歩を進めた。

 駅ビルの中には食料品店や呉服店、CDショップや本屋などが入っている。どの店もあまり大きくはないが、ユウは行きつけである本屋に立ち寄った。あまり悠長なことをしている時間はないので新刊のコーナーをざっと見渡し、目に留まるような本がなかったのですぐに踵を返す。このまま停留所へ戻れば寒風に晒されることなくバスに乗れるはずだったのだが、ユウの予定はある少女の出現により狂い出してしまった。

 地階にある駅ビルの出口付近で、ユウは霞ヶ原高校の制服であるチェックのスカートに目を留めた。少女もまた、詰襟の制服を着ているユウを見て足を止めてしまっている。その少女とは親しいわけではなかったが、お互いに知らない間柄でもないので、ユウは何となく彼女の傍へ寄った。

「今、帰り?」

 少女が気さくに話しかけてきたのでユウは頷いてみせた。ユウの家の近所に住んでいる倉科マイと同じく霞ヶ原高校の制服を着ている彼女の名は北沢朝香。ユウにとっては中学三年生の時のクラスメートであった。

「あたしもなんだ。よかったら、途中まで一緒に行かない?」

 思いがけず朝香から誘いを受けたユウは微かに眉根を寄せた。若干の違和感はあるものの断る理由もなく、ユウは頷いて歩き出す。朝香とユウはバスの路線が違うため、彼らは徒歩で帰路を辿ることにした。

「マイから聞いた?」

 並んで歩き出してすぐ、朝香の方が口火を切った。彼女の科白には主語がなかったので、ユウは渡部のことかと考えを巡らせながら眉根を寄せる。

「何を?」

「マイが彼氏と別れたって話」

「ああ……」

 そっちの話かと、ユウは胸中で呟いた。近頃やたらと色恋沙汰を耳にするので、主語を伏せて語られると誰の話なのか判断がつきにくい。ユウが嘆息すると、その意味をどう受け止めたのかは分からないが、朝香が顔を傾けてきた。

「気になる?」

 朝香が言っているような興味というよりは、ユウはマイの一致しない言動に不可解さとわずかな苛立ちを抱いていた。それは、他の誰かに無関心であることとは根本的に異なる感情の動きである。しかし第三者から言及される謂れもなかったので、ユウは嫌な顔をして朝香に目をやった。

「そんな、嫌そうな顔しないでよ。小笠原くんが気になるなら、マイのスカート丈が長くなった理由を教えてあげようかなーと思っただけだから」

「スカート丈?」

 マイが彼氏と別れた理由だとばかり思っていたユウは、飛躍した朝香の発言について行けずに首をひねった。ユウが困惑しているのを楽しんでいるかのように、朝香は笑みを浮かべながら話を始める。

「マイの元彼ね、カッコイイからすごくモテてたんだよ。しかも先輩だから、マイ、かなり頑張って見た目を変えたみたい。一時期、すごいスカート短くなかった?」

「ああ……」

 夏頃に起きた一連の出来事を思い返しながらユウは曖昧な相槌を打った。マイが急に変わった理由は知っていたものの、それが全て一人の男のためだったと改めて聞かされるとため息を禁じ得ない。それほどまでに努力して手に入れた恋を、マイは何故かあっさりと手放したのである。ユウが分からないなとぼやいているうちにも、朝香の話は続く。

「先輩に釣り合うようにって、すごく無理してたみたい。あたしは親しくなかったからよくは知らないんだけど、先輩の方も自分好みの女になれってマイに言ってたんだって」

「……へえ」

「しかもけっこう束縛する人だったみたいで、小笠原くんと仲良くするなとか言われたらしいよ。それでマイがキレちゃって、別れたって話」

「ふうん……」

 半ば受け流しながら話に耳を傾けていたユウは気のない返事をした後、瞠目した。慌てて朝香を振り向き、ユウは困惑しながら口を開く。

「俺が原因?」

「まあ、そうと言えなくもないね」

 朝香から返ってきたのは淡白な肯定であり、ユウは頭を抱えたい気分になった。

(何で、そうなるんだよ)

 ユウは一度だけマイと彼氏が一緒にいる姿を見かけたことがあるが、その時の様子から察するにマイは彼氏に対して気遣いというものをまったくしていなかった。彼氏の立場からすれば自分の彼女が知らない男と仲良くしているのは嫌だろうし、ましてや三人で帰路を辿るなど言語道断である。マイはもう少し、彼氏に対して気を遣うべきだったのだ。それが何故、当然のことを言われただけでキレてしまうのか。難解すぎて頭痛がしてきたので、ユウは片手で顔を覆った。

「キッカケは小笠原くんだったかもしれないけど、あのまま付き合っててもそのうちダメになってたよ。窮屈だったって、マイ言ってたから」

「あ、そう……」

 だからマイの見た目が元に戻ったのかと、ユウは納得して嘆息する。やっぱり自然がいいと言っていた彼女の真意は解ったものの、振り回された感のあるユウは疲れを隠せなかった。その様子を見て、朝香が再び含み笑いをする。

「小笠原くんが動揺してるとこ、初めて見た」

 ユウに自覚はなかったものの、彼の反応は動揺以外の何物でもなかった。言われて初めてそのことに気がついたユウは自分が動揺するのもおかしな話だと思い、眉根を寄せる。ユウの様子を窺いながら、まだ口元に笑みを残している朝香がついでのように言葉を重ねた。

「この間の文化祭の後、マイ言ってたよ。やっぱり小笠原くんがいいなぁって」

「は?」

 またしても脈絡のないことを言われ、ユウはあ然としながら朝香を振り返った。しかし説明を加える気はないようで、朝香は軽く手を振って見せる。彼女はそのまま去って行き、寒風の吹き抜ける路上に一人取り残されたユウは呆然と立ち尽くしていた。だがすぐに、ユウは考えることを放棄して歩き出す。中学生の頃からマイの突飛な発言には大意がないことが多く、朝香が口にした科白もそれと同じに違いないからだ。

(疲れた……)

 早く家に帰って布団に潜りたいと思い、詰襟の中で首を縮めたユウは足早に帰路を辿ったのだった。






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