街角にツリーが立ち、賑やかなクリスマスソングが流れる十二月。その盛り上がりが最高潮に達する二十五日、出不精な小笠原ユウは浮かれた気分に浸ることもなく暖かな布団に包まれて至福の眠りに就いていた。時刻はまだ夕方の頃合だが学校はすでに終業式を終えているため、いつでも好きな時に眠りに落ちることが出来るのだ。
睡眠が趣味というユウの眠りは、いつも深い。平素であれば手荒なことでもされなければ起こされることもないのだが、その日、彼は上方から降り注いでいる妙な圧力を察して自然と目を開けた。目覚めるなり視界に入ってきた顔は一つではなく、驚いたユウは慌てて上体を起こす。ベッドの周囲に集まってユウを見下ろしていた男女は、彼が起き出したことを歓迎するかのように素直に身を引いた。
「おはよう、ユウ」
初めに口火を切ったのは、ユウの家の隣の隣に住んでいる倉科マイだった。彼女がユウの就寝中に訪れることは珍しいことではなかったが、問題は他の二人である。
「いつも思うんだけどさ、よくそんなに寝てられるよな」
呆れ顔をしてそんなことを言っているのはユウのクラスメートである渡部だった。彼の隣には、中学三年生の時のクラスメートである北沢朝香もいる。マイを除く二人が小笠原家を訪れたのはこれが初めてであり、誰とも約束を交わしていた覚えもなかったユウは訝しく思いながらベッドを後にした。
「何でいるんだ?」
しかもそんな、ゾロゾロと。無断で部屋に侵入されたことに多少の憤りを感じたユウは言外に非難を含ませながら尋ねたのだが、誰も悪びれた顔はしなかった。至って普通に、マイが疑問に応じる。
「これからクリスマスパーティーなんだ。ユウも行こう?」
前置きもない唐突な誘いにユウは言葉を失った。どういうことなのかと、ユウは説明を求めて渡部を仰ぐ。ユウと目が合った後、渡部は苦笑しながら話を始めた。
「クニコがさ、例の彼女に俺たちのこと話したらしいんだよ。そしたらやっぱ松丸で、倉科たちとも久しぶりに会いたいって言ったんだと。で、クニコが張り切っちゃって、パーティーを企画したってわけ」
渡部から簡単な説明を受けると、それでユウも大方の事情を承知した。だが渡部や国松とは先日まで毎日のように教室で顔を合わせていたのに、そのような話は今の今まで聞いたことがない。何故これほど唐突に、かつ強引な誘われ方をしなければならないのか。不満に思ったユウは嫌な表情を作った。
「それなら何で、もっと早く言わないんだ?」
「だって、前もって誘ってもユウ行かないって言うでしょ?」
問いに応じたのはマイで、彼女の言葉が的を射ていたのでユウは閉口した。ユウが黙り込んだのを見て渡部が感嘆の声を上げる。
「さすが倉科。小笠原のことよく分かってるな」
「前にユウのお母さんが同じことしてたから真似しただけだよ」
マイの軽やかな笑い声を聞きながら、ユウは強引に連れ出された家族旅行のことを思い返していた。その旅行はユウとマイの中学卒業と志望校への合格を祝うものだったのだが、その時もユウは出発当日まで旅行の事実を知らされていなかったのだ。余計なことをマイに教え込んだ母親を恨めしく思い、ユウは小さく首を振る。
「分かった。行くから」
また寝込みを襲われたらたまらないと感じたユウは、断らないから普通に誘ってほしい旨をマイに伝えた。それを聞いたマイは出不精なユウが折れたことに瞠目したものの、すぐに勝ち誇った顔で笑う。
「じゃ、うちで待ってるから。早く支度してね」
そう言い残し、マイは慣れた様子でユウの部屋を出て行く。渡部と朝香もマイに従ったので賑やかだった室内は急に静寂を取り戻した。仕方なく出かける支度を済ませたユウは、家を後にする前にリビングへと足を向ける。そこにいるはずの傍若無人な母に、一言言ってやらなければ気が済まなかったからだ。
「行ってらっしゃい。今日はご飯いらないわね?」
すでに話は伝わっているらしく、ユウの母親は彼に目を留めるなり笑顔で手を振って見せた。ユウは嫌な表情をつくり、唇をへの字に曲げる。
「何で寝てる時に人上げるんだよ」
「家にいる時はいつも寝てるじゃない」
ユウが眠りに落ちていることは普通の人が何となくテレビを眺めていることと同じようなものであり、来客を追い返すには値しない。母親がそのようなことを言ってのけたのでユウはあ然とした。
「マイちゃん達が待ってるんでしょう? 早く行ってらっしゃい」
遅くなってもいいわよ、などと笑顔で言っているユウの母親は出不精な息子がクリスマスに出かけることを喜んでいるようだった。何かを心配されているように感じたユウは母親のニコニコ顔から視線を外し、一つため息をついてから「行ってきます」と小声で告げた。
パーティー会場へと移動するため、一行はユウとマイが住んでいるニュータウンからバスに乗り込んだ。目的地はバスで三十分ほどの距離にある国松の家である。バスに乗ってからホームパーティーであることを聞かされたユウは眉根を寄せて同行者の顔を見渡した。
「他にも誰か来るの?」
「久本とキミコちゃんも来るって言ってたぜ」
ユウの疑問に答えたのは彼の隣に座っている渡部だった。総勢で八名もいることにユウは驚きを露わにする。
「入りきるのか?」
あまり他人の家に行ったことのないユウは自宅を頭に浮かべて無理だろうと思った。八人もいるとユウの家ではリビングでさえ、きつそうである。だが渡部は心配いらないといった様子で笑みを浮かべた。
「そうか、小笠原は知らないんだったな。クニコの家、小金持ちだから余裕だよ」
ユウ達の後ろの席で話に耳を傾けていたらしいマイと朝香が渡部の物言いに笑い出す。ユウは金持ちと小金持ちの違いが分からないと思ったが、その疑問は胸中で留めておくことにした。
「ねえ、ユウ。国松くんてどんな人? あのマルの彼氏なんでしょ?」
マイに話しかけられたものの、彼女の前であまり松丸の話をしたくなかったユウはそのまま渡部に視線を流す。ユウの無言の要請を察したかどうかは定かでないが、渡部は朝香を振り返った。
「北沢は知ってるよな?」
「え、そうなの?」
マイの疑問は巡り巡って、結局のところ回答は朝香に委ねられた。何故彼女が国松を知っているのだろうと訝りながら、ユウも朝香に目を移す。その場の視線を一手に集めた朝香は苦笑混じりに口を開いた。
「知ってるけど、国松くんが松丸さんと付き合ってるっていうのは正直、意外」
「何で何で? 何が意外なの?」
「だって、全然タイプが違うから」
マイと話していた朝香はそう言い、ちらりとユウを見た。その視線の意味を察したユウは思わず苦笑いを零し、マイは曖昧な相槌を打っている。一人だけユウと松丸の関係を誤解している渡部は眉をひそめながら首を傾げていた。あまり長引かせたくない話題だったので、ユウは突っ込まれる前に口を出した。
「昔のことは、いいじゃん」
「ま、確かに。今は国松くんって人と付き合ってるんだしね」
茶化すどころかマイが助け舟を出してくれたのでユウは密かに安堵の息を吐いた。渡部はまだ不審そうな顔をしていたが、朝香が話題を変えてくれたので手土産についての話を始めている。松丸に会ってももう普通に接することが出来るはずだと胸中で呟き、ユウはゆっくりと流れ行く街並みに顔を傾けた。
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