進級の春、倉科マイは中学三年生になった。とうとう受験生となったわけだが実感のないまま、マイは教室で頬杖をついている。新しいクラスメート達の顔にもまだ、受験生に特有の壮絶感は漂っていなかった。
春の日差しに暖められた教室は温く、窓の外にはわずかに花を残す桜が見える。帰りのホームルームの最中、マイはうつらうつらしていた。危うく深い眠りに落ち入りそうなところでマイは慌てて顔を上げる。それでもわずかな時間は眠っていたらしく、帰りのホームルームはすでに終了していた。
「今、かんぺき寝てただろ?」
クラスメートの男子に声をかけられたのでマイは何気なく彼を見上げた。マイの席の脇にはすでにジャージを着用している久本が佇んでいる。久本とマイは一年生の時にも同じクラスであり、三年生でも一緒になったのだった。
「だって、担任の話が長いんだもん。久本は今から部活?」
「そ。貴美子に一緒に帰ろうって言っといて」
マイの友人でもある貴美子は久本の彼女である。貴美子もマイや久本と同じクラスなのだが、今は教室内にいなかった。
「キミちゃん、いつの間にいなくなったの?」
「ホームルーム終わってすぐ出てった。ということで、伝言よろしくな」
部活動開始の時間が迫っているのか、久本はさっさと話を切り上げて去って行く。帰宅部のマイは時間に追われることもないので、一つ欠伸をしてから机を抱いた。
(春だなぁ……)
ひんやりしている机に頬を寄せていると、外気の暖かさも手伝って心地いい。再びうとうとし始めた頃、肩を揺すられたのでマイは顔を上げた。
「もう授業終わってるよ。いつまで寝てんの?」
呆れながらそう言ったのは、二年生の時にマイと同じクラスだった朝香である。朝香の隣には貴美子の姿もあったので、マイは伸びをしながら話しかけた。
「久本が一緒に帰ろうだって。ラブラブだね〜」
マイがからかうように言うと貴美子は少し頬を赤らめた。その様子を見た朝香が他人の席に腰を下ろしながら息を吐く。
「好きな人と両思いになれてクラスまで同じなんて、貴美子は幸せだね」
「三年で同じクラスになるんだったら焦って告白することもなかったかもねぇ」
マイも朝香に便乗すると貴美子は困ったように苦笑いをした。口ではからかいながらもマイは貴美子の幸せを良かったと思っていたので、早々に話題を変える。
「二人とも、これから部活?」
マイと同じく貴美子の幸せを願っていた朝香も話に乗り、しかし首を振った。
「今日はなくなったのよ」
「そうなんだ? じゃあ、帰る?」
「貴美子はどうする?」
朝香が貴美子を振り向いたのでマイもそちらに視線を向けた。久本に一緒に帰ろうと言われている貴美子は考える素振りを見せながら答えた。
「私は、久本くんを待つから」
「キミちゃん、付き合おうか? どうせ暇だし」
マイがそう申し出ると貴美子は頷きながら椅子に腰を下ろした。朝香も付き合うと言うので、マイ達は他愛のない話を始めた。
「そういえば朝香、ユウと同じクラスだよね? ユウ、どうしてる?」
マイが話題に上らせた小笠原ユウとは、マイの家の隣の隣に住む男の子である。朝香は首を傾げながらマイの問いに答えた。
「どうしてるって、普通にしてるけど? 家が近くなんだから自分で聞けばいいじゃん」
「ユウっていつも寝てるから、あんまり外で見かけることってないんだよね」
「小笠原くん、最近寝てないよ。授業中もちゃんと起きてるし」
「えっ!? ホントに?」
マイが驚きの声を上げたのは、ユウの趣味が惰眠を貪ることだからである。二年生の時の彼は一年中、授業中でもお構い無しに眠っていた。そんなユウが心地よい春の時期に眠っていないなど、マイには信じられなかったのだ。
「受験を意識してるんじゃない?」
貴美子はそう推測したがマイには納得がいかなかった。ユウは呑気な性質で、まだ三年生になったばかりのこの時期に受験を気にしているとは思えなかったからである。
「小笠原くんと言えば、松丸さんもこのクラスだよね」
朝香が話のついでに持ち出した名前にマイと貴美子は苦笑した。
松丸とは、マイ達の学年でも一、二を争う美少女である。そんな彼女はユウに思いを寄せており、バレンタインデーにチョコレートを渡した。だがユウは松丸の気持ちに気がついておらず、義理でホワイトデーのお返しをしたのだ。そしてホワイトデーが終わった後、何故か「ユウが松丸にフラれた」という噂が流れた。その真相は、未だに不明である。
「せっかく同じクラスになったんだから本人に直接聞いてみたら?」
マイがユウと松丸の間に何があったのか気にしていたことを知っている朝香は気楽にそう言った。マイは肩を竦めながら首を振る。
「その話はもういいよ。それに、そのことがあるから何となく話しかけ辛いんだよね」
松丸に間接的とはいえ「告白しろ」とアドバイスしてしまったマイは少なからず気まずさを感じていた。そしてそれは、マイの助言を運んでしまった貴美子も同じなようである。貴美子と顔を見合わせた後、マイは話題を変えた。
「ゴールデンウイークはどっか行く?」
「その話、ちょっと気が早くない? まだ二週間も先だよ」
朝香に呆れられながらも、休みを楽しみにしているマイはゴールデンウイークの話を続けた。貴美子に顔を向け、マイは冷やかしまじりに話を振る。
「キミちゃんはデートとかしないの?」
「あ、うん。ゴールデンウイークは遊園地に行こうかって話はしてるんだけど……」
貴美子が恥ずかしそうに頷いたのでマイと朝香は顔を見合わせ、ラブラブだとぼやいた。
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