Loose Knot

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雨中、傘の下で


 太陽が顔を覗かせていれば新緑がまぶしい五月の日曜日、家から少し遠いスーパーに買い物へ来ていた倉科マイは店を出たところで足を止めた。まだ昼前だが空は暗く、通りを行き交う人々は傘をさしている。アスファルトにはすでに水溜りができていて、本降りの雨はまだ続いていた。

(うわー、降ってきちゃったよ)

 朝から雲行きが怪しかったのだが、大丈夫だろうと高を括ったマイは傘を持たずに外出してしまった。しかも近所の店ではなく家から遠いスーパーへ足を運んでしまったので、雨の中を帰るのならば濡れ鼠になってしまうこと必至である。マイはしばらく様子を見ようと思い、買い物客の邪魔にならないよう自動ドアの端の方へ移動した。

 十分ほどその場で佇んでいても雨足が弱まる気配はなかった。見上げた曇り空からは次々に雨粒が落ちてきて、アスファルトにできた水溜りにはじけていく。店内を振り返れば特設のビニール傘売り場が出現していたが、マイはため息をついただけで動こうとしなかった。お釣りをくすねて菓子を買ってしまったため、文無しだからだ。

(あーあ、どうしよう……)

 もう雨中を走って帰るより他ない。マイが覚悟を決めようと思っていた時、目前を知った姿が通過した。その人物はこれからスーパーに入るらしく、軒下まで来て傘をたたんでいる。

 私服姿を見るのは初めてだったが、マイは傘をたたんでいる人物がクラスメートだと確信した。しかし仲が良いというわけでもないので声をかけずにいたのだが、マイに気がついた彼女の方が声をかけてきた。

「倉科さん」

 マイを苗字で呼んだのは、クラスメートの松丸という女の子である。松丸はスーパーには入らず、自動ドアの脇に佇んでいるマイの所へやって来た。

「カサ、持ってないの?」

「あー、うん。降られちゃって、どうしようかなって思ってたところ」

 マイが苦笑いを返すと松丸は思案するような表情を浮かべた。彼女は一度スーパーを振り返り、それからマイに視線を戻す。

「うち、この近くなの。買い物が終わってからで良ければカサ貸そうか?」

「えっ、ホントに?」

「うん。今日はもうやまないって天気予報で言ってたし」

「……そうなんだ」

 天気予報など気にもしていなかったマイは渇いた笑みを浮かべた。松丸は柔らかく微笑み、待っててと言い残して店内に姿を消す。松丸から傘を預かったマイは再び空を仰ぎ、彼女が戻って来るのを待った。

(松丸さん、やさしいなぁ)

 顔見知りとはいえ、わざわざ声をかけてくれて傘まで貸してくれるという松丸の優しさに感じ入ったマイはホワイトデーの罪悪感を再確認してしまった。だが謝るのも妙な話であり、マイは胸中で唸りながら眉根を寄せる。

「お待たせ」

 スーパーの袋を提げた松丸が戻って来たので、マイは考えることをやめて笑みを向けた。

「あ、荷物持つよ」

 傘に入れてもらったマイはそう申し出たのだが、松丸に断られてしまった。気持ちが治まらなかったマイはせめてもと思い、松丸の手から傘を奪う。松丸の持っていた傘は一人用の小さいものだったので、マイは持ち主が濡れないよう気を配りながら歩いた。

「倉科さんの家ってニュータウンの方でしょ? 歩いてここまで来るのって少し遠くない?」

 松丸が何気なく話題に上らせた事柄に、マイは首を傾げた。

「あれ? 何でうちがニュータウンの方って知ってるの?」

 マイと松丸はクラスメートだが、友人と言うほど親しくはない。その彼女がどうして家を知っているのか疑問に思っただけだったのだが、マイは松丸が言葉を濁したことでピンときてしまった。

(そっか、ユウの家までチョコ渡しに行ったんだっけ)

 松丸が思いを寄せている小笠原ユウは、マイの家の隣の隣に住んでいる。好きな人の家くらい知っていて当然であり、ユウの幼馴染みにあたるマイのことも気になるのが当然なのだ。

(うわぁ、しまった……)

 墓穴を掘ったマイは言葉が続かず、松丸もマイが何を考えているのか察したようで閉口してしまった。気まずい沈黙の中、傘を叩く雨の音だけが異様に大きく聞こえる。すぐ沈黙に耐えられなくなったマイは松丸の方へ顔を傾けて謝った。松丸は怒っていたりはしていなかったようで、困ったように笑みをつくる。

「気にしないで」

 松丸は優しい口調でそう言ったが、ホワイトデーの後からもやもやした気持ちを抱えていたマイは言葉を次いだ。

「あの、告白した方がいいなんて言っちゃったことも、ごめん」

「そんなこと気にしてたんだ?」

「う、うん……私があやまるのも変な感じだけど」

「それこそ気にしないで。倉科さんのせいじゃないし、フラれてすっきりしたから」

 まだ完全に吹っ切れてはいないようだったが、松丸は明るく笑った。本人の口から「フラれた」と聞いたマイは意外な気持ちとやっぱりという思いが混ざった、複雑な心境になった。

「小笠原くんから何も聞いてない?」

 松丸はユウがマイに話していると思っていたようで、意外そうな表情をした。何か誤解されていると感じたマイは慌てて答える。

「幼馴染みって言うよりご近所さんな感じだから。ユウ、自分のことはあんまり話さないし」

「そうなんだ? すごく仲良さそうに見えたから意外」

「仲良い、のかな? よく分からないや」

 同じクラスの時は隣の席に座っていたこともあり、よく話をした。だがクラスが分かれてしまえば自然と会話も減っていて、友人とも呼べそうにはない。マイがユウとどんな付き合いをしてきたのかを説明すると、松丸は不思議そうな表情をした。

「それは、よく分からないね」

 マイが曖昧な笑みを浮かべたのにつられるように松丸も苦笑いをした。そこで一度会話が途切れたのだが、すぐに松丸が口火を切る。

「でも、小笠原くんって優しいよね。鈍いけど」

「うん、鈍いけどいい奴だよ」

 住宅街の一角で足を止め、傘の下の二人は顔を見合わせて笑った。

「このカサ、持っていって。うち、ここだから」

「ありがとう。明日、返すね」

「あ、倉科さん」

 松丸を軒下まで送って踵を返そうとしていたマイは、呼び止められて振り向いた。松丸は好意的な笑みを浮かべていて、マイは首を傾げる。

「何?」

「これからはマルって呼んで。皆そう呼んでるから」

 唐突な申し出を受けたマイは目を瞬かせたが、すぐに笑みをつくって頷いた。

「私もマイって呼んで。じゃあね、マル」

「うん。バイバイ、マイ」

 松丸が手を振ったので、マイは傘と荷物を一緒に持ってから手を振り返す。心が軽くなったマイは足取りも軽やかに雨の帰路を辿った。






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