Loose Knot

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湯けむり温泉家族旅行


 中学校の卒業式も終わり、公立高校の合格発表も終わった三月の下旬、寝ぼけ眼をこすりながら階下へ下りた倉科マイは異様な光景を目撃して目を瞬かせた。倉科家の構造は階段の直線上が玄関になっているのだが、そこに昨夜はなかったはずの大きな荷物が置かれているのである。それも一つではなく、旅行用の鞄や手荷物とする鞄などが雑然と置かれていた。

 マイの母親は大の旅行好きである。話は聞いていなかったがまた母親が旅行に行くのかと思ったマイは荷物の多さに呆れながらリビングに足を運んだ。リビングにはすでに朝の支度を終えた両親の姿があり、父親は食卓に、母親は台所にいる。キッチンで振り向いた母親はパジャマ姿のマイを見て呆れた顔をした。

「まだそんな格好してるの? 早く支度しなさい」

「……は?」

「早く出ないと道が混んじゃうじゃない」

 母親はやけに急いていたが話が見えなかったマイは眉根を寄せるに留めた。

「旅行にでも行くの? それで、何で私が急がないといけないわけ?」

「なんだ、マイに話してなかったのか?」

 マイの発言を受けて父親が呆れた顔をして母親を見た。キッチンで何かをバッグに詰めていた母親は作業の手を休め、空を仰ぐ。

「そういえば、言ってなかったかしら?」

「おいおい……」

 主役に言わないでどうすると、父親がぼやく。母親は素知らぬ顔をして作業を再開させた。首を傾げるしかないマイに、出勤時とは違って休日スタイルの父親が説明を加える。

「小笠原さんとこのユウくんとマイの合格祝いだ。泊まりで温泉に行くんだよ」

「えっ!? そんなこといきなり言われても聞いてないよ!」

「今言った。もう人数分宿とっちゃったから、早く支度しなさい」

 キャンセル料がかかるから駄々をこねるなという父親の言葉に急かされ、マイは慌ててリビングを飛び出した。

「荷物はまとめてあるから、着替えだけ済ませば大丈夫よ。早くしないと小笠原さんが来ちゃうからね」

 洗面所の鏡に向かって乱雑に歯を磨いていると母親が顔を出してさらに急かした。マイは歯みがきの速度を上げ、それが終わるとざばざばと水を打ち付けて顔を洗う。洗面所での作業を終えて二階へ駆け上がったところでインターホンが鳴り響いたので、自室に飛び込んだマイはドアも閉めずにパジャマを脱ぎ捨てた。

(服、服……)

 何を着ていくかなど考える暇もなく、クローゼットを開けて一番に目についたTシャツとジーンズで身なりを整える。シャツの上からジャケットを羽織り、マイは日用品が入っている鞄をひったくって部屋を出た。

 玄関にはすでに旅装を整えた両親の姿があり、加えて小笠原家の母親もいた。ユウの母親は階段を駆け下りてきたマイを見てにこりと笑う。

「おはよう、マイちゃん」

「おは、よう、ございます」

「もう車を出してあるの。さあ、行きましょう」

 倉科家を迎えに来たユウの母親は先陣を切って玄関を出て行った。マイも重い荷物を持たされ、ユウの母親に続いて家を出る。すると倉科家の前には見たことのないワゴン車が停まっていた。

「おはよう、マイちゃん」

 ワゴン車の運転席から声をかけてきたのはユウの父親である。マイは挨拶を返しながら車に近寄った。

「この車、どうしたんですか?」

「レンタカーだよ。どうせなら皆で一緒に行きたいからね」

 二台で行くとガソリンも高いしと付け加え、ユウの父親は笑って見せる。連日のように原油高が叫ばれているので、さすがにマイにも事情が呑み込めた。マイが苦笑いを零していると車の後方からユウの母親の声がする。

「マイちゃん、荷物積んじゃいましょう」

「あ、はい」

 トランクの前にいたユウの母親に荷物を渡し、マイは手提げ鞄だけを持って車に乗り込んだ。するとそこには先客の姿があり、マイは一番後ろの座席へと移動する。後部座席でぐったりしているユウは眉根を寄せながら目を閉じていた。

「……ユウ? 寝てんの?」

 マイが控えめに声をかけるとユウは気怠そうに目を開けた。しかし座席に沈み込んでいる体を起こそうとはせず、ユウは背もたれに頭を預けたまま口を開く。

「眠い……寒い」

「…………」

 トランクもドアも開け放しているので、車内には早朝の冷たい風が吹き込んでいる。気分的には同感だったが、マイはユウの寝起きの悪さに呆れた。

「寝癖、すごいよ。もしかして今起きたとこ?」

「マイだって髪バクハツしてるじゃん」

「朝起きていきなり旅行行くとか言われたんだもん、仕方ないじゃん」

「……マイもか」

「もしかして、ユウも?」

 会話しながらも半分寝ていたユウは頷くなり完全に目を閉じてしまった。微かな寝息が聞こえてくる中、後部座席のさらに後ろにあるトランクの所に立っているユウの母親が含み笑いを零す。

「前もって言うと行かないって言うと思ったから当日までナイショにしてたの」

「……確かに」

 ユウの性格を考えれば有り得そうな話であり、マイは思わず頷いてしまった。

(さすが母親、よく分かってるなぁ)

 ユウは面倒くさがりであり、あまり家から出ることを好まない。外でユウを見かけるのはせいぜい駅前の本屋くらいであり、彼が遠出をしている姿をマイは見たことがなかった。

「さ、出発しましょう」

 マイにそう告げたユウの母親はトランクを閉じ、車の前方に移動したようだった。マイの両親も車に乗り込んで、いざ出発である。トランクの方を向いていたマイも座席に座りなおし、小さく息を吐きながら流れ出した車窓に目を傾けた。






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