Loose Knot

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受験生の夏


 マイが帰宅すると、倉科家のリビングにはすでに秋雄と女性の姿があった。女性は秋雄と同年代か少し年上のように見え、落ち着いた雰囲気を纏っている。何より久しぶりに会う兄が男くさくなっていることにマイは驚きを隠せなかった。

「よう。久しぶりだな」

 彼女がいることを意識しているのか、秋雄は照れくさそうに言う。マイは兄との会話はそこそこに、秋雄の彼女に視線を移した。マイと目が合うと、秋雄の彼女はにこりと微笑む。

「はじめまして、高岡美樹です。ミキって呼んでね」

「あ、はい。えっと、私は……」

「マイちゃんって呼んでもいいかしら? 秋雄からよく話を聞いていて、会いたいと思っていたの」

 美樹の言葉を受けて、マイは胡散臭く思いながら兄を見た。何の話をしたんだという妹の視線を受け流し、秋雄はマイが提げているスーパーの袋に目を落とした。

「何作るんだ?」

「鉄板焼き」

 兄に簡素な返事をした後、マイは美樹に視線を移した。

「好き嫌いとかありますか?」

「ううん、何でも大丈夫。手伝うわ」

「えっ、いいですよ。材料切るだけだし」

「ごちそうさせていただくんだから、何か手伝わせて?」

 再度笑顔で申し出られてしまえば折れるしかなく、マイは苦笑しながら頷く。麦茶でも飲みたいと言う秋雄も引き連れて、三人はキッチンへと移動した。キッチンの主は留守なので、マイが美樹に指令を出す。

「じゃあ、野菜切るのをお願いします。私はホットプレートとかの準備をしますんで」

「分かったわ」

 美樹の返事を聞いたマイはまな板と包丁をカウンターに出してからリビングへ戻った。インターホンが鳴ったので、マイはその足で玄関へと移動する。扉を開けてみると、倉科家の玄関先に佇んでいたのはユウであった。

「どうしたの?」

「ホットプレートが何処にあるか分からなかった」

「えっ、どうしよう。あ、そうだ、おばさんに電話してみたら?」

「したけど、つながらない」

「あ、そう。まあ、さいあくフライパンでも焼けるし。ご飯だけ炊いておきなよ」

「炊飯器の使い方が分からない」

「……米くらい炊けるようになろうよ」

 ユウがあまりに何も出来ないのでマイが嘆息しているとリビングから秋雄が顔を出した。秋雄はユウの姿を認めると笑顔で玄関へとやって来た。

「ユウ、でかくなったなぁ」

「秋雄さん。久しぶり」

 秋雄とユウが再会を喜ぶ姿にマイは不思議な気分になった。

「お兄ちゃんとユウって仲良かったんだっけ?」

 マイの記憶には、秋雄とユウが一緒にいる姿は残っていない。だがマイの知らないところで彼らは親しくしていたのだった。

「昔はよく、一緒にサッカーしたよな」

「一緒にって言うより教えてもらってた感じだったけど」

 ユウが遊びとはいえサッカーをしていたことも、秋雄がユウに教えていたなどということもマイにとっては初耳であった。意外を面に出しているマイには構うことなく、ユウと秋雄は懐かしそうに昔話を続けている。マイは初めて見るユウの表情に釘付けになった。

(……そういえば、ユウが友達と親しそうにしてるのって見たことないかも)

 ユウにとって秋雄は実妹であるマイ以上に「お兄ちゃん」的な存在であり、歳の離れた友人でもあるのだろう。そう感じたマイは複雑な気分になった。

「マイに用があったのか?」

 秋雄が話を元に戻したのでユウはマイを見た。ユウの視線を正しく解釈したマイは、兄に事情を説明する。すると秋雄は何でもないことのようにある提案をした。

「だったら小笠原のおじさんも呼んで、うちで食えばいいじゃないか。そうすりゃマイだって手間が省けるだろ」

「えっ、だって……いいの?」

 反射的にリビングを振り返ったマイは困惑したまま秋雄に視線を戻した。マイが何を気にしているのか察したようで、ユウが口を挟む。

「今日は彼女がいるんでしょう? ジャマしたら悪い」

「美樹はそんなに心の狭い女じゃないから大丈夫だ。ユウ、あがれよ。紹介するから」

 秋雄に誘われたユウは困った表情をしてマイを仰いだ。ユウに助けを求められていることを見て取ったマイは苦笑いを浮かべる。秋雄とユウに玄関で待っているよう厳命してから、マイはキッチンへと引き返した。

「あ、マイちゃん。切るの終わったけど、次は何をしようか?」

「えっ!? 早っ!」

 先に声をかけられてしまったマイは驚いて美樹の手元を覗き込んだ。まな板の上にはすでに食材がなく、きれいに切られた野菜は皿やボウルに並んでいる。手際の良さに感服したマイは尊敬のまなざしで美樹を見た。

「すごい、手なれてますね」

「毎日やっていることだからね」

「あ、もしかして、お兄ちゃんの食事とか作ってくれてるんですか?」

「私も一人暮らしだから、夕飯はよく一緒に食べるわ」

「へえ〜そうなんですか」

 仲がいいなぁと微笑ましく思った後、マイは表情を改めて本題を切り出した。事情を呑み込むとすぐ、美樹は頷いて見せる。美樹があまりに簡単に受け入れてくれたのでマイの方が気を遣うことになってしまった。

「お兄ちゃんがあの性格だから言えないかもしれないけど、嫌だったら嫌って言ってくれていいんですよ?」

 倉科家にとっては親しい家族でも、美樹にとって小笠原家は完全な他人である。彼氏の実家を訪れているだけでも気を遣うだろうとマイは思っていたのだが、美樹はそのように考えてはいないようで朗らかに笑って見せる。

「食事は大勢の方が楽しいから。マイちゃん、そんなに私に気を遣わなくていいのよ?」

 笑顔で切り返されてしまったマイは、兄が美樹を好きになった理由が分かったような気がした。気を遣う必要がないと実感させられたマイは肩の力を抜いて笑む。

「じゃあ、お兄ちゃんとユウを呼んできます。後は焼くだけだから美樹さんも休んでください」

 美樹にそう言い置いた後、マイは男達を置き去りにしてきた玄関に戻った。秋雄とユウはまだ立ち話を続けていたが、マイの姿を見て口をつぐむ。マイは兄に向かって苦笑した。

「美樹さん、ぜんぜん気にしないって」

「だから、言っただろ? 美樹は心の広い女だって」

 マイの言葉に即座に反応を返した秋雄は笑いながらリビングの方へ歩き去って行く。マイは玄関に佇んだまま困惑しているユウに向かって小さく肩を竦めて見せた。






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